タンポポおもしろかった。伊丹らしさにペダントリー満載である。映画の見方から始まり、ラーメンをはじめとした食の哲学、そして死生観も、あれこれ満載なのである。マルサの女は主人公が先頭に立って敵陣に入って行かなかったことでアメリカでは不評だったようであるが、この作品はマッチョのアメリカにはウケたようで、ガンマンがフラリと訪れた場所で、未亡人の家族を助け、息子も入れたら7人のガンマンのように仲間をひとりひとりと見つけてゆき、目的が成就したら、シェーンのように去っていく。パロディにはせず哀愁をちゃんともたせ、エロスも醸し出す。奥さんラヴに、メイク&コーディネートはこーでねーとと美しく仕立てる(女シリーズの構想の確信はここで決まったのかな)。浜辺の牡蠣のエピソードは南イタリアを舞台に、そして藤田敏八の歯医者のエピソードは白日夢風に仕立て、映画に必要なエロティシズムを忘れることはない。桃やチーズのプニュプニュもエロティシズムかな。ブニュエル寄りだけど。リンクレイターがやるよりも前に、伊丹十三はエピソードごとにメインの人物が入れ替わるスラッカー方式を行い、このコロナ禍ではよしたほうがいいタマゴの口移しでキスキス、そしてラストのユーモラスに壮絶な死をもってバンバンとなす。役所広司のダンディズムとノワールもそうだけれど、ワイプをもって終わるオムライス作りで潜り込むシークエンス、キーストン的演出ありので、伊丹十三はアメリカ映画のサイレント好きなんだな、と思ったとき、大林宣彦もきっとサイレントにも慣れ親しんだんだろうな、と頭によぎる。森田や相米との世代の違い、30年代生まれに時代の共有を感じられるものある。そういえば、スウィートホームももろに直球にアメリカンだった。
ps
最終盤の白服の役所広司と白いラーメン屋、あの白の橋渡し。ノワールではなくフィルムブランFilm blancにしたかったのか。でも次作のマルサ、黒づくめのノワールにしたのは、闇の掘り下げに向かったのかな。ヒトは闇の方に関心がいく、と、商才的に、でもなくフツーに思ったのかな。白は彼のなかで成就で、黒は漂いなのかな。
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