スウィートホームと金田一耕助の冒険おもしろかった。スウィートホーム、大林のハウスよりも怖かった。ハウス、御手、ハウス、御手、に比しこちらはシャドウという雰囲気。ハリウッドというよりクロネンバーグというより、カーペンターに追いつけ追い越せな対抗意識を感じるホラー。でも、ウィリアムキャッスルやマリオバーヴァ的なゴシックが屋台柱なのかな。黒田福美のから絵画までの眼の反復、黒沢清っぽいけど潜在意識の組み立ては伊丹のものだろうし、メロドラマっぽさは劇映画的ゆえ伊丹十三っぽいけれど、愛を主軸に置くのは黒沢らしさであろう。みんなでせーのよーいドンする協働作業論やテレビ番組班は伊丹の体験からくるアイデアで、雰囲気で怖がらせや自我の克服は黒沢のもので、ハリウッド対抗のクリーチャー造形は伊丹のものだろう(見た目は宮本信子と前田米造により伊丹映画である)。ガソリンスタンドのおじちゃんは高等遊民風情で、伊丹はこうした役を演じたいのだろう風情がでている。金田一耕助の冒険、古谷一行をキャストして金田一の時代的ミラクルをパワフルに語らしおん。追うのは首というよりも金田一の顔であり、彼がいかなる人物かは五里霧中にされど、皆が彼を夢中な理由は映像によって理解させる仕掛けの作品である。ウィキ読むと、角川映画って多くの映画作家にとってはアンチにしてシカトの対象だったのか。そんななか自ら手を挙げるとは、やはり大林宜彦、とても新人類的な軽やかさを放っている。エイティーズ的軽いには軽薄が含意されていると思うけれど、それはポジティヴな軽薄を表すものであり、それはつまりケーハクということなのだろう。由利徹の軽やかさと所ジョージの軽さが違うように、はったりもごまかしもない、健やかな清々しい、中身のない軽さがエイティーズなのではないかな、となる。そうしたケーハクが、ビックリ宝島やパルコ広告文化の時代に即するかのように、表される。昔の刑事ドラマに出てきていた警視庁本部庁舎はこの頃に新しいのになったのか。旧庁舎の取り壊しが時代の変化を表すようにあらわされる。懐かしい建物も出てくる。古き良きってのは、新しく建ったものも久しくすればノスタルジーへと変わる、それのことを言うのだろう。中身はなくとも見た目だけで刺激を受けるのが、潔いエモーションなのであろうか。
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