ポオとボードレールの天の邪鬼やエトランゼはコリン、ノエ、カラックスに通底するとこあるかなと興味を持つが冬に鬱になっても嫌なのでお天道様ギラギラな乾いたキャルフォルニアにゃアメリカンに関心を持ちつつ、フィフティーズへのオマージュ的なものはあっても、過去へのノスタルジーはないだろうゼメキスとバートン。プログレス邁進の時代の、サイエンスへの盲信ではなくゼメキス、表されるものは潜在的未知する神秘性がその傾向にあるのではと、大人への通過儀礼的なものから次のステップへはコンタクトからかな、そこらから大人のドラマは始まるのかな(アニメのはとりあえずおいといて)、でもって、時代に取り残された主人公は描いてもそれは決してノスタルジーを求めてでなく、現在を描いているバートンはそのミスティック、子供から大人になるその中間に生まれる神秘性を表しているのではないか、と思えるのである。
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