『王になろうとした男』
原作のキップリング、ジャングルブックやガンガディンの作者なのか。あまりイギリスの原作ものを読みたいも観たいという欲求も生まれないのだけれど、冒頭から、そうした感覚がこの作品観ていると芽生えてくる。また、イギリス軍人の誇り高きプライドというものも、映画の上でだけど、あまり好きになれないのだけれど、この作品観てると、主人公たち彼らの誇り高き姿に感銘を受ける。オブセッションは見果てぬ夢に志向する。ロマンである。そうしたものがジョンヒューストンの傾向としてあるんだな、とアフリカの女王、白鯨、そして天地創造を続けて観ていてこれに繋がったときそう思うのである。見果てぬ夢は欲求を超えたところに生まれるもの。黄金もそれのために裏切りが起こったり、マルタの鷹も騙しあいが生まれたり、計り知れない欲望が現れるような記憶があるが、この作品を観ていきながら、もしやこれもか、でもショーンコネリーというスターのイメージがあるから、欲望に狂ってギトギトした方向にはならないだろう、と思いながらも、やはり欲求を超えたところに手を出していく。しかし、ノワールなものとしてではなく、ロマンを求めるものとして気高さがあり、そして人間味があるものがそこには表されている。平和がやってきても欲望が人間には消えることはないという教訓が表されながらも、ヒューマンであることの説得力がそこには表されている。ヒューストンが長年温めてきたものであり、そのため、最初はクラークゲーブルとハンフリーボガートの組み合わせから、いろんなアクターたちの組み合わせで考えられ、コネリーとマイケルケインで実現したとのことだが、ヒューストンの想いが詰まった作品であるのだな、と、そこにも感銘する。テンポもいいけど、なにか寓話性があるセンスがそのテンポを活かしている。スタジオを異国情緒に飾り立てるでなく、あくまで現場でやるとアフリカで撮影したアフリカの女王は、そうした異国でのロケ撮影の先駆けだと言われるけれど、この作品は75年の作品だからもはやそれが当たり前の時代のものであるのだが、ヒューストンのエキゾティズムにさせずにその地を現しめるもの、ヘルツォークを繋げてくれるものも、観ながら喚起してくるものあり。ふたりともやはりロマン主義なんだな。
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