Facebookで繋がっちゃうと、こいつ何を生意気なことをぬかしやがる、と思われたらコワいので、と言うより、ここ最近は、以前はメモ帳片手に書きながら観て数日考えながら書いてたけどそれをやめて、観たらすぐに書く、という風になったので、少々乱暴にモロに感想文になっちゃってるので、ヘンなこと書いちゃいけないので、あえて短い文章での印象。観て数日経っている。『極私的エロス 恋歌1974』、武田美由紀さんがとても綺麗であった。眼差しとしての、まさに極私的エロスを感じた。カメラアイが対象をすくいとる。愛としてのエロスである。『豚と軍艦』の吉村実子がその美しさ、なんかリンクしたけれど、闇市の時代と違いもっと後の時代だから、生命としてのエロスは違ったものを孕んでいるのだろう。『FAKE』。佐村河内守さんの曲をひとつも聴いたことがないので最終盤に表される彼のつくった曲が凡庸なのか凄いのかなにも分からないが、奥さんの横顔、耳にズームインかなトラックインかな、寄るとき、家族だけではなくこの作品に在るあらゆる人間関係性のなかに確かに存在する彼女への感謝、愛がテーマ、というか確信なのか、と感じる。『A2』、確かにオウム真理教に寄り添った映像であるが、観る前に見た書評で公正ではなくオウム寄りになってるとかあったり、他の書評を読んで感じたのは、例えば、日本人として日本にいていながらも、悪いイメージをもたれていても、そこにいては悪も善も気づかないものが表されているものが描かれているのかと思ったけれど、そうではなかった。フェアに中も外も表されている、というか、人間の機微がそこに表されているものを感じる。それは中身が何があるかは説明もしようがないが、その肌、表情に見えるもの。いわば人間臭さである。そしてそれは自覚されるものではなかろうか。良い悪いは判断できなくても、己自身で感じられるもの、という意味での自覚。ラストに表される人々の歩いてゆく足。その後どこに向かうかを観たいがA3はあるのだろうか。写しとること、そして表現であるモンタージュ、デクパージュ、カドラージュ、それは何かを考えさせられ、考えていきたい3作品である。
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