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2019年09月02日16:58

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見聞録31

6月某日
六本松に新しくたってる建物、なんだかむかしむかしの丸の内の建物っぽいのが多いけれど、こうした感覚って最近の流行なのかな? なんかおもしろい。ところで、母と日曜美術館をみるとき、テーマによっては小難しく感じるのか番組に集中しないときもあるし、美の巨人たちは、私的にときどき、小林薫のナレーションは素敵だけれど、どうでもいい寸劇が長くあって情報だけくれ、と思ったりするが、ぶらぶら美術館博物館はバラエティな要素もあるのか、母は楽しんでみてくれた。銀座の建物とかウィーン世紀末のとかのテーマだから、年齢的な感覚でも落ち着いてみてくれたのだろう。私的にも、おもしろかった。

6月某日
こないだ行ったギャラリーで、オーナーの方だろうか、絵を見てる私に「この絵は癒し系ですね」と言ってくれたが、なるほど、と思った。その言葉が、誰にしも分かるシンプルな短い言葉であることに、なるほどとなった。ぶらぶら美術館博物館における山田五郎の説明、やはりテレビでのキャリアが長いのだろう、学芸員の方の説明が小難しくなりそうなときも、的確に分かりやすい感じで説明をつっこんでくるし、誰かが言った言葉の拾い方もそれに反応しながら要約するように分かりやすく、そして知識をさらに広げさせてくれることをシンプルに言う。なるほどな、となる。でも、おぎやはぎのアートに対する反応も、山田五郎の言ってることが能書きたれにうるさく一瞬感じてしまうぐらいスマートなもので、さらにおもしろいな、となる。

6月某日
マティスやルオーが学んだであろう、ギュスターヴモローの色の感覚、おもしろかった。ルオーとマティス、見直したくなる。ウィーンの工芸品のシンプルなデザイン、小市民というところから生まれたのか。あと、ウィーン工房ってバウハウスにも影響を与えたんだろうな。

6月某日
人生は複雑な建て方によって成るものだから、そうもシンプルに言いくるめれないだろうし、日曜美術館という番組の構成での物語の立て方があるんだろうけれど、マティスのヴァンスの教会への行きつき方やルオーのサラへの行きつき方は、素材がどうヒカリを惹きつけ活かすかを、日曜美術館でのマティスとルオーの物語にその探求が在ったのか、となる。祈りも繰り返すことによって宗教的になる、とあったが、藝術もそげんなものであるとですたい、と当たり前だけど、納得ともなる。

6/23
養老孟子ヴァーサス山下洋輔のスイッチインタビューを観る。考えるな感じろ、ということ言ってるでなく、考えるということに信ぴょう性を持つな、ということ言ってるように思えおもしろかった。ヨージヤマモトのも観る。アタマがポップ化しているのだろうか、コムでギャルソンの黒は受け入れることできても、このヒトの黒がとてもキツクなってきてる。ドン小西のような、デーハーを超えたドーハーの方が視覚的に落ち着くようになってきてるのかな。。

6/28
開門なし。ゴジラもアトムも元来の意味ではもはや忘却され恐怖の象徴でも未来への希望も存在は希薄となり、新藤の原爆の子も第五福竜丸も今村の黒い雨も若松が批判する原子力発電所も、彼らが常に描いた”生きる”と”闘争”のなかに顕さんとしていたものも”豊かさ”のなかで雲散霧消のごとしになってきているようであっても、今村若松新藤の時代がダイナミックス過ぎて目立っただけであり、五百年も昔から、それより昔から、そして今でも”生きる”と”闘争”は在り続けるもの。本能的なのである。食べる、性欲、切実に生きる、がむしゃらに生きる、人間は”生きる”。権力への闘争、イデオロギーに向けた闘争、社会に対するもの、伝統に対するもの、人間そのものに向けられる闘争は人間のもつ本能、社会にあるべき本能。G二十がどうルールつくろうがゴワサンになろうが、”生きる”と”闘争”は令和にもその本能を志向する。

6/29
福岡市美術館のホールでのコンサート、リュートとソプラノによる第一部に続いて第二部、河合拓始さんが演奏された女性歌手の方とのデュオ、素敵でした。邦画にまたハマってるときだからか、武満や佐藤勝、林光の作曲の歌唱曲、こんなにあるのか、ととても驚いた。新藤兼人の作品を観てると、フェリーニがニーノ・ロータを必要とするのと同じように、林光の音楽が重要なものであると思っていたところに、林光の歌唱曲、とてもアメイジングッドだった。

7月某日
夜はテレビつけると、アニソンの3時間。こんなに曲あるんだと、永井豪とダイナミックプロぐらいしかしか知らない私は驚いて聴きこんだ。いろんな世界があるんだな。こんどアニソンバーに行って、久保田早紀の異邦人を歌おっと。

7/5
こないだフェティッシュバーなるものはじめて行ったけれど、そこはママさん、というか、Sの女王がいました。Mプレイはされなかったけれど、 NYでも東京でも体験しなかった世界が地元にあったのか、と驚愕でした。トイレに行こうとすると、お客さんが先に入っているらしく、Sの女王は「ゴミがひとり入っています」と言ってくれました。お客をゴミ扱いする凄いお店でした。また行こ。

7/5
広瀬すずが主演の朝のテレビ小説ぜんぜん観てないけどとりあえず録画していて、でも七十何話ぐらいまできていて、最初から観る気が失せる。録りだめのを観る。ミュージックフェア。新妻聖子などが出ているミュージカルの。アラジンのホールニューワールドだっけ?あの歌はやはり胸がグッとくるな。新妻聖子はネヴァーイナフ。とても上手かったけれど、オリジナルのダイナミクスには欠けていたけれど、やはり日本人は身体的に声量のベース音的に、アングロサクソンには対抗できないのかな。次はスキマスイッチやリトグリなんかの。奏での皆の共演よかった。次は宇野実彩子なんかが出ているの。え〜え〜え〜は男女混合で、女子だけ或いは男子だけのアイドルグループに比すれば、なんか男女共学的な和気あいあい感があっておまけにいやらしさもなく好きである(あくまでもイメージであるが)がやはり宇野実彩子の笑顔がなんとなくよい。ももクロとの共演よかった。ミュージックステーションの、ゆずとかサカナクションが出てるの。ここでも、アラジンのホールニューワールドやってた。よかった。

7月某日
本日、六本松にあるバー、シックスパインズでオーナーのカツさんのライブがあったけれど、彼が以前やってたバンドの復活ライブがあったけど、なんかとてもよかった。Jab G York, おすすめである。

実験音楽やジャズは東京でもNYでもよく行っていたが、ロック系は福岡での生活、以前よりも増して行くようになってるような気がする。

7/6
図書館で久しぶりに借りる。モリエールとかスタンダールとかバルザックとかコクトーとかロブグリエとかしるゔぷれ、とりあえずフランスの文藝史がどんな流れされているのかという、よくある本。アマゾン調べたら1円だったけれど、とりあえず借りる。リヴぇットやドゥミ、ヴァルダのボックスを観る前に、流れを見たくて。あと、新藤兼人やイマヘイ、若松孝二の、キネマ旬報における追悼号。図書館のスタッフで探してくれた方、映画けっこう知ってるのだろう、あっ新藤兼人ですね、とすらっとパソコン検索してくれて、でもこだわりがあるのだろうか、入念に調べてくれて、かえって時間がかかった。おわり。

7月某日
新藤風が書いた文章、新藤兼人のラストデイズはずっと付き添いしていたようで、現在の生活での母とのやり取りある私としては、とても分かるものであった。もう大変なのよ。

7/10
録りだめのを観る。僕のかつての情報源はトゥナイト2と平凡パンチだったけれど、最近の情報源は装苑と沼にハマってきいてみたである。沼にハマってきいてみたを観る。納豆沼。今じゃなんでもスーパーで買えるけれど、かつては家で漬けていた漬物のように、納豆も自分で作ることできるんだ。桜の葉っぱはうっすらとサクラの香りが口に広がるようでよい。こんどつくってみよう♬ 一輪車のダンスと競技。ダンス、華麗だった。こういうのあるんだ。一輪車、明日から始めよう♬ フリースタイルバスケ。こういったヒップホップとの組み合わせあるんだ。ってかこれは早々からあるヒップポップカルチャーなのかな。これはハマりそう。明日からバスケ始めよう♬ トランポリン。ハーフアウトという技すごかった。明日からトランポリンはじめよう♬ 探検沼は早稲田と上智の探検部の学生さんたち。撮影隊長もいて、ドローンでの撮影も含めての撮影、記録を残している。リュミエール以来の”撮る”ということ、あらためて思い知らされる。
すイエんサーのもちもちパフェをつくってみよう。かたくり粉を使ってモチモチ感を出すのか。こんどつくってみよう♬

7/11
新藤兼人の一枚のハガキをレンタルしたけど、夏バテか、何か観る力が湧かない。録りだめのを観る。除熱大陸の田名網敬一の。多くの人はこのアーティストを知ってると思うけれど、私ははじめて知った。ららら♬クラシックのパリのアメリカ人。ラプソディインブルーではオーケストレーションが自身でやれていなくて雪辱をあじわったのか、ガーシュイン。オーケストレーションを学ぶためラヴェルやストラヴィンスキーに弟子入りを懇願したってのは、偉い人はいつでも謙虚で素直なんだ、となる。でもまだ30歳ぐらいだから年長者にプロポーズするのは、天才らしく貪欲なのではある。ぶらぶら美術博物館。山形美術館いっぱいコレクションあるな。クールベとマネのここでの絵はピンとこなかったけれどゴッホのは驚いた。アンリルソーとセザンヌのもやはりいつものように素敵でした。山田五郎とおぎやはぎ、ピカソにうまいだけではダメだと悟らせたとセザンヌとアンリルソーを褒め称えながらも、バラエティー的に、ふたりの絵を愛着もってクソミソに言っていた。でも私的には、愛着もったクソミソがセザンヌとルソーのを、あっなるほどな、とは思わせてくれるもの発見させてくれた。

7/16
本日ラジオでネクライトーキー知ったけれどおもしろかった。録りだめのを観る。アシカではないと思うけれど、トドだっけ?ジュゴンだっけ?セイウチだっけ?どれかの祖先がゾウだと何かの番組であったけれど、タモリと山中教授のDNAの番組で、突然変異のものが父方のでも母方のでもないものとして必然として生まれる、ってものは当然に感じられるけれど(血液型占いによって人格がカテゴライズされるわけないように父型と母型のコピーだけで語りつくせないのが人間であるはずだから)、海中に長い時間潜ることができる民をみると、ゾウからトドだっけ?ジュゴンだっけ?セイウチだっけ?それへの進化ありえるな、となる。地上の危険から身を守るために、海に入って、いきなりディズニーのキャラみたいに生まれ変わることはないにしても、何百か何千世代も過ごせば、そうなんだろうな、とロマンは感じられずともクローネンバーグはなにか感じた。ハウエヴァー、半魚人はいないにしても、指と指との間に、なんて言うんだっけ、水掻きがある、人間から進化した民がどこかにもういるのかもしれない、とロマンは感じられる。

7/17
録りだめのを観る。欲望の資本主義2018。確か去年も観たと思うが、覚えていないので全然勉強になっていない。資本主義はそのうち崩壊して社会主義が求められる、とは今の情勢、あるいは世界の動き、そうではあるな、となる。今になれば、レーニン像が取り払われる昔の映像もなにか悲しい感覚で見てしまうし、アンゲロプロスのあの作品でのレーニン像ってそれもあったのかな、となるも、あの時はあの時での時代の到来であろうし、番組最後の締めの言葉が、資本主義が崩壊するのが先か資本主義から抜け出す道へ出て行くのが先か、というのも、なるほど、行き着くことでしか分からないのであろう。か?
タンカーのあれがアメリカの仕業でもしあったとしても、北朝鮮のハナシに手を貸してやるから、中東のハナシには当然参加しろよな、と、気がつかないまま話にのせられていて、もしそうなのなら、まさに”いい人ばかりの国”ジャポンである。舐められていてもしょうがないのか、劇場型ではなくもはやショーの政治に参加していること、国民も行政その他諸々も自明なのか。自滅か。もしそうなのなら、行き着くことでしか分からないのであろうか?

7月某日
もしそうでも、いくらなんでも、そのときにハナシにのせられているのはじめて分かった、はないだろう。それじゃ、流石に、お墓の中の近松門左衛門もアゴが外れて、呆れ果てるだろう。人情噺にもならん。安倍さんが誰よりもいち早く駆けつけたときに、就任早々のトランプは「こいつ使える」と思ったのかな、もしそうなのなら。

7/18
吉村実子特集として、イマヘイの『豚と軍艦』と新藤兼人の『鬼婆』を購入。
素朴な顔だち、ずんどうな日本人体型、ひえあわむぎを食べて生きてきたようなしっかりとした顎、百姓的なヴァイタリティ(どんどんと失礼なことを言ってポリティカつコレクトネスに引っかかってるのかな)、そしてその年齢に見合ったエナジーが、吉村実子の魅力に思える。漁村でも農村でもムラの民の娘というセンスを彼女に見てしまう。
でも彼女は芳村真理の妹、すなわちブルジョワジーで彼女たち所有の別荘でスカウトマンの目にとまったとのこと。映画のイメージはそうではない。ソフィスティケーションされてなくってヤンチャで素朴、そうしたプリミティフな魅力を彼女は放っている。イマヘイと新藤の演出は土の匂いを放っている。『豚と軍艦』と『鬼婆』愉しみである。

7/19
録りだめのを観る。世界なんとか街歩きのカナダ・バンクーバー。10歳ぐらいの時は住みたい憧れの街、それもゴリラさんと白熊さんと。もしかしたら二十歳ぐらいでもそれを考えていたかもしれない。それが無理と大人になって知り夢が崩御した(ちなみに、サンタクロースの存在はもっと若い頃から気付いてはいた。二十歳というそんな歳までそんなことを想っていたなんて、おかわいそうに、と思われたらいけないので)。でも、住みたいとは思わないけれど、やはり行ってみたい場所である。アド街の合羽橋。幼少の頃、母が東京に行くときはほとんど必ず連れて行かされていた場所なので、一緒に観る。私的には、有田の陶器市に連れていかれるぐらい退屈で苦痛に感じていた。
欲望の資本主義2019。ソ連の崩壊のとき、人は「自由」を求めたが、それは「自由」ではなく「モノ」だったのでは、とあったが、私的にはそれは「刺激」だったんではないかな、となる。欲望の資本主義ではなく、もっと欲望のイズムで番組あればいいけれど。今やイズムも、個人の中ではそんなのないから、欲望のメソッドかな。欲望の資本主義2018でチェコの経済学者が、昨今批判されてきたポピュリズムを、あれはポピュリズムではないと言っていたが、キャプラを研究してきた者としては、あれはキャプラのテクストで表されていたものとは違う、とはあってほしいとは思うのではある。加藤愛と阿藤快の違いぐらいに、ケインズとハイエクとフリードマンの違いはあるんだろうな。いろんな命題あったけど、考えよう、面白かった。

7/21
録りだめのを観る。半分青い、最初から丁寧に観ていたせいか、トヨエツ先生のところに入ったあたり、恋愛が始まる前に頓挫したけれど、なつぞら、そろそろ恋の話になる、となにかにあったので、最初から丁寧に観ると、ぜったい半分青いと同じように行き着かない(他のも、恋愛のところまで行ったためしがない)と、85話からはじめて観る。唐突に観たせいか、いきなりあの事件とリンクして、今から恋やいっぱいいろんなことが待ってただろうと、気持ちが涙となる。

7/22
ミーティングがあっても、お前らド突くぞ、といきなり”冗談で”言うのか、このたびは申し訳ありませんでしたとポリチシャンみたいに両手を差し出してきて握手するのか、或いは、宮迫も亮もビビって出てこないのか。どちらにしても、芸人ファーストは納得しても、鶴の一声や、涙ながらの人情話的なものもあっても、なぜコンプライアンスでのこと施行したのか、を、オリンピックから指摘された以外でちゃんと説明してもらわなきゃ、吉本おちゃらけになってしまう。

7月某日
一党独裁がやはりこの國の落ち着かせ方か。10代から30代がその多くが自民党に入れたと言うニュースだけれど、昔みたいに、ただなんとなく、ではなく、確実にそう思ってやってるのは、いろいろ考えさせる今後の命題である。逆に言えば、お前ら何もやってないじゃん、という上の世代に対するその世代の声なのかもしれない。山本太郎、れいわが救いなのか、となるも、ストラ手ディーが露骨にも思え、ちょっと唖然とはなる。ショー型政治の時代だから、それは妥当なのかな。

7月某日
イマヘイ新藤若松かぶれになってるせいで網野善彦や折口信夫のような民俗学者を目指している僕は、時代の変化とは言え、関東連合やロシアのマフィア、ベトナムのマフィアが侵攻する中で、看板背負ってやってる日本独自のシンジケート(前時代の日本に貢献していたもの)が、それまで社会の形成に参加していたものが縮小化壊滅化されるのは、伝統としてもやれないことも地下に潜ってやることも、ある意味、古い時代の終わりなんだと危惧するが、日韓とのやりとり、アメリカとのネゴシエーション、ってより政治、でどうなるのか、未来が令和に気になる。

7月か8月の某日
『豚と軍艦』に出演してもらうにあたって、吉村実子の親と学校を説得するのに半年かかって大変だった、とイマヘイは語っているが、そのわずか数年後の『鬼婆』では、吉村実子は前貼りもつけずに演技したとのことであるが、出会った作品が彼女を人間に帰すかのようである。

7月か8月の某日
ドキュメンタリーは格闘技であるも借りていた。Hな日本民俗学の本ばかりではない。原一男に魅了される。知りたがりなんだね。そうでなきゃドキュメンタリーやれないだろう。イマヘイの連発する「憶えていない」は彼の飄々としてものが伝わってくる。新藤兼人は喰い下がらない原に対して紳士的に対応しながら、自身のメソッドを再模索している。イマヘイが西洋化に日本は律しても、日本人とはこういったものだ、と表すやり方に、日本人に対して目から鱗だったけれど、赤松啓介と下川耿史の本で考える日本人はクリスマスでもハロウィンでもラブホでも、それだけでなく大きな括りでの日常でも、どこまでいっても日本人のミームなんだ、と理解してしまう。知識としても、イマヘイワカマツシンドウのテクストを知るのに助かる。

7月か8月の某日
福岡の何人かの方が赤い殺意について書かれていたので、TSUTAYAの東京か他の所からの取り寄せ便かな、と思っていたけれど、TSUTAYAに行くと、赤い殺意がおいてあったし、盗まれた欲情もあった。ってことはもしかしたら、レンタル屋にこれまでなかったにっぽん昆虫記や人類学入門、果てなき欲望も出てくるのかな、と期待する。ゲオと合わせても、新藤兼人や若松孝二は思ったよりもたくさんの作品がおいてあったけれど、DVDになるときにブームになっていなかったからか、或いは版権の問題か、イマヘイのは代表作に数えられるのもおかれていなかったので不思議だったけれど、もう何年も観ていない作品がおかれることとにかく期待してしまう。新藤のさくら隊散るや若松のエンドレスワルツがあったので驚く。新藤の愛妻物語や若松の寝取られ宗介がないのは一方で、不思議である。松居一代の衝撃や、今やソフト化不可能と言われるスクラップストーリーも気になるし、ピンクの時代のも何作か気になるし、新藤の東宝でとった花嫁さんは世界一や裕次郎主演の海の野郎どもは気にならないけれど、藪の中の黒猫や強虫女と弱虫男なんかは気になる。新藤は多作なので、どれがどれでいいのか、よく分からない。若松孝二にもそれは言える(このあいだエリックさんが言っていた、阿部薫がサウンドを担当した13人連続暴行魔や、清順は殺しの刻印と連結するような裸の銃弾なども)。イマヘイの帰還兵のも気になるが、三人のドキュメンタリー作品も気になる。赤軍-PFLPがあったのはちょっと驚いた。









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