『海燕ホテル・ブルー』
作品全てに一貫して同じことが表されているとは言えないから、そう見てしまうと危険であるが、あの女性に表される表象性とは何だろう、未見の『聖母観音大菩薩』の女性はなんだろう、『処女ゲバゲバ』の磔されてる女性にはなにが表されているのだろう、それは人間の煩悩を慈しむ菩提心なのかとか考えてくる。山を背景に砂を走る女や男の姿は、かつての若松作品をメモリーをリンクさせるから、よりそのこと意識させる作品である。犯罪の匂いも罪と罰への志向も、あの女性の存在がかき消してしまう。これ見よがしに表されたり、スローモーションがクドイと思ったけれど、それぐらいに表すから彼女が脳裏に容易にインプットされる。イマヘイもそうだがワカマツもまた、絵を、見えるのはその表面だけのみであると、映画とはそういうことだと言わんばかりに露骨に表す。それにしても観念的、ふたりとも。ところで、観念とはなんぞや、とも同時に思うのではある。ジムオルークの音楽、実録連合赤軍ともどもによかった。
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