『スリー・ビルボード』
『ビューティ・クイーン・オブ・リーナン』と同じように母娘の関係性に潜む歪みを掘り下げながらも、ラブ&ヘイトレッドの曖昧性をブラックユーモアに際立たせた『ビューティ・クイーン・オブ・リーナン』とは違って、アメリカ映画に適する慈愛を込み上げさせるものと『スリー・ビルボード』はなるも、ラストのオフビートに惚けたセリフとふたりの表情、やはりマーティン・マクドナーらしい血なまぐさをそこには表さんとする。慈愛や気づきの裏にある血生臭さが表されているのである。自責の念とどこに怒りの矛先に向けていいのか分からない彷徨のなか、アメリカンにファミリー映画の定石も忍ばせ、アメリカに蔓延る偏見と暴力も忍ばせ、中東状況も敷いたアメリカも忍ばせ、問題提起する、というよりは、アメリカという無意識を露わとさせる。
愛が描かれるものとして、よいレヴェルで感動する。アメリカ映画の定番的にヒューマニズムということしか語ってはいないのは、マクドナーの確信犯的な狙いであろうが、スットボケタ風情で密かにポイズン放り込んでいるのは、マクドナーらしさもちゃんとある作品ではあるのだ。エドワード・オールビーやジュリアン・シュナーベルも同じようにもつアメリカに対する毒づいたコンシャスネスがマーティン・マクドナーにもまたあるが、外国人としてアメリカを見る客観的な眼差しは、慈愛を描きながらも、やや冷たさ表しているところもこの作品の良さを生んでいる。
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