『凶悪』
山田孝之が家の中を覗いてから転じるリリーフランキーのその後に長く表される姿は、ジャーナリスティックな視点よりもあるがままの人間を執拗に追う映像というもの露わとさせたかったのかと思える。ピエール瀧に表される人間の持つ曖昧さも、ミステリアスに浮かび上がってくる。
家電店店主の男性が殺されるまでをじっくり表すシークエンスは強烈だったが、主人公の年老いた母が施設に入るとき、それらはリンクする。高齢で弱者となった者たちがそこに表されるとき、リリーフランキーが言うように、憎悪の対象は面会室のガラスに映る主人公自身であることが、そこには表されるのである。ポスターに表されるように、リリーやピエール、そして対象を追うヤマダの様々なシェーマが表されながら、彼らのなんら変わらない生き地獄が人の生としてこの作品に表されること告げている。情に脆くも殺人を繰り返すピエール、愛嬌ある笑顔で冷淡な態度を表し続けるリリー、家族を顧みずジャーナリズムに献身するヤマダには、あるがままながらも知らない人間という実像が表されているのである。
無意味に人を殺していく冷酷の不条理というわけだけではなく、この作品では内面もまた問題とされなければいけないように思えるから、絶賛されるリリーフランキーとピエール瀧、愛嬌さと冷淡、強面だけではそれ出るのが希薄に思えるのだけれど、演出意図的には、内面など分からない、ただ表層のみというような黒沢清的なもの、そうしたものと似たのがあるのかな、とも思え、それってどうなんだろう?と不審に思えるものはある。
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