日本映画は何が起こってるか分からないとかなにも起こっていないと、日本文化をこれまで触れてないヒトがそんなこと言ったりしたりもするが、こちとらは日本的曖昧さも分からずいたって繊細ではないなと憤慨していたけれど、是枝と行定を観ると、私も何が起こってるのか、ナニがナンのことやらサッパリ、となってしまっていたけれど、「海よりまだ深く」も「海街diary」もいきなり唐突に終わるな、と思ったけれども、「海街diary」も4姉妹が海岸を歩くところ思い出せば、エンディングにきてるなと気が付かなければならなかったのであり、そんなこんなの、家族は表されていても、是枝が好きであろう小津の時代とは、違ったもはや家族という体系が崩れている時代の家族でありながらも、仏教観に根付いたものありつつも、因果ある出来事とは別の無為としてあるもの、或いは有為でも空(くう)としてもあるのではない、そうした仏教的真理もあてがうことができない無常の世界、そうしたものが表されている観があり、とてもユニークなものだと思いつつ、行定においては『クローズド・ノート』や『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』にあるように、一応綺麗な装いの映画にはしていつつも、出来事の生起が組立てるストラクチャーは、なんだか林海像的曼陀羅図にも似ていて、それは新緑の木々、枝葉が分かれながら繁っていくようなキレイさなぞあるでなく、木の根が地下でニョキニョキと幾本にも伸びていく様かのようなキミョウさ表し、クセになるような感覚あるが、それは日本人が持つ独特のプロパティなのか、或いは現代性なのか、といろいろ考えてしまう。このストラクチャー、何か親近感あるものである。
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