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2018年03月16日14:09

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お嬢さん


『お嬢さん』
 なぜ友情だけでゃ物足りずに身体をもぐんずほぐれつにしたのか、その根拠が不可解であったが、ひとこと、それは一目惚れだったからなのであろうとも解決できる。イノセントであろうがナイーヴであろうが、或いはコンアーティストであろうが、根としてある純は彼女たちには存在する。
 日本という帝国に脳すらも侵食され、ラヴ&ヘイトレッド渦巻きながらも、美の普遍的価値基準を帝国に標準合わせてしまっている伯爵とスッキである。しかし、スッキはやがて彼女だけが基準とする愛を与え、そして同時に受け入れてもいく。
 第一部に続き、メンズファンタジーの変態社会に幽閉され、それでも己の自由意思を信じるお嬢様は彼女を愛するスッキの真にして核なるものを見据え、受け入れる。そして第三部では、不徳の男はギリギリ男を保つことでき、変態帝国を水銀の阿片的快楽で崩壊させ、女たちは激動へと突入する中国へと向かっていく。
 チャヌクのテクストほとんど全てにおいて、主人公は或る女性にインモラルな次元へと導かれられる。オールド・ボーイはミドによって、クムジャさんは彼女の娘を探すことによって、そして『渇き』の神父はテジュによって導かれられるのであり、この作品において伯爵は実は導かさせられているのであり、お嬢さんとスッキは互いに相手をいざなう導き手となる。インモラリティに導かれられることによって主人公は純を究め、善かれ悪しかれ、それまでの世界観が壊され自由を見い出すことができる。主人公は純に殉じえることできるのである。
 お嬢さんとスッキはメンズファンタジーに抗い、克服してみせる。この作品自体、そうしたファンタジーでも彩られているが、それは反語的に私たちのコンシャスネス壊しますとさせている。殉じる姿がクセがあるのか、チャヌクのテクストほとんど全てと同じように『お嬢さん』、ハッピーエンドであってもラストになり意識にのこるもの、なにか重いものが在る。でも、オモシロかった。クセある重いものが印象に残るからこそ、筋は忘れても、チャヌクのテクスト侵食するのかもしれない。


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