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2018年01月23日18:21

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サブウェイ ディーバ

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『サブウェイ』
 冒頭のサブタイトルに在る行動=存在、そしてシナトラ、それらはまさにこれは動き、ムーヴィーであること、そしてエンターテイメントであること、オープニングのカーアクションにエスタブリッシュされる。されどこのカーアクション、本場のフレンチコネクションに比しDULL。シネマではなくムーヴィーであることは続けて表されるが、舞台は巴里、やはりフランスの社会構造に対する異議申し立て色が強くあらわれている。若きベッソンの熱き志し、アンダーグラウンドに対する信奉が下層の世界に表されるのである。ベッソンが後に強くうち出す仮想世界は、もはやこの作品からも表され始められていたのである。イザベルアジャーニがメトロの階段を降りてくるとき彼女のスカートが見えてくるショット、そこに現実から乖離された世界が登場してくる。ここからがまさにベッソンの世界であったのである。ゴダールキッズ的な映画への考察が表されながらも、ノリはその後のTAXiにも表されるようなフレンチエンタメ、そしてまさにベッソン的仮想世界、それらのミクスチャー、ラストの歌い出すクリストファーランバートまで爽快である。ムーヴする。


『ディーバ』
 カルネとルルーシュから継承しているような、シネマの伝統を感じさせるところもあるけれど、ベッソンやカラックスの映画乃考察的なところと違い、とても独特のもの、オリジナリティーを感じさせる、それがベネックスのこの作品である。周縁の世界の女神たちに意識的あるいは無意識的にオブセスする主人公が表されるけれど、そうしたオブセッションは後のベネックスにも表されるものであり、彼の特徴的なもののように思えた。ベッソンはムーヴィーを目指したが、カラックスとベネックスはポエジーを探求するようだ。しかし、20歳らしく自意識の塊とシネマというおもちゃ箱をひっくり返したテクみせるカラックスと違い、ベネックスの耽美は迷いを確実性のなかで表さんとする詩的さ加減よい按配でみせてくれるものである。独特だけれど、3人のなかでは一番シネマしている。しかしながら、それは、断層に現れるものとしてである。





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