『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、通常なら性格がコンプレックスに複雑なヒロインの心象像が、主人公マックスのトラウマにおいて表され、一方で、もっと単純な男としてのヒーロー像は一本道マッシグラなフュリオサに表される。スピーディな動きのなかでドラマを、エピソードがありすぎても平たんにも凸凹にもならず、テンポよく、ココロのムーヴは確実に表す。ヴァーホーベンと同様にハリウッドのやり方にはムシャクシャしたのであろうかジョージミラー、オーストラリアに戻ってからの子豚ちゃんやペンギンで弾んでみせて、弾んだ勢い、ヒップホップジャンプと再び砂漠と荒廃したポスト進歩社会に戻ってきた。フェミニズムを筆頭に、暴力世界が抑圧するものに対する反抗だ。マックスのトラウマに表さるもの、すなわち子供やアボリジニ、弱き力と神秘性を秘めたる者たちに後押しされてのヒーローの復活(いま思えば、これもアポカリプトの無邪気な少年が突然変異に憑依され予言するものをクスねているかのよう)、緑の磁場に向かう。人々がリカヴァリーさせようとする緑、センターに在るものへと向かう希求が周縁に拡がりながら表される。
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