『リトル・ダンサー』には驚いたな。少年のバレエのなかでの成長を描いたハナシぐらいにしか思ってなかったし、スティーブンダルドリーをサムメンデスに比べたらこれまではややフツーにしか思ってなかったのだけれど、スピリチュアリティみなおした。イギリスはモンティパイソンやそこらで毒がある国にしか思ってなかったけれど、ただならぬ国である。アメリカではなくそこイギリスが、あれだけのロックを出したのか、、、そのエスノ性が理解できるのが『リトル・ダンサー』。ブライアンジョーンズやシドバレットだけではなく、ビートルズ、エルトンジョン、えとせとら、ヤワではない。ダルドリー、言いすぎかな、ケン・ラッセルの精神を受け継いでいる。
規格内の世界にいるほとんど我々は誰しも規格外のものを持ち合わせるけれど、その規格外の本能であるものを、記憶というよりは思い出というものをからませながら探究されること描くのが、『めぐりあう時間たち』と『愛を読むひと』と『リトル・ダンサー』を観て思うダルドリーの特徴のような気がする。ダルドリーやメンデスをみると、舞台を手掛ける彼らに、ドラマティックといったものではないドラマツルギーとしてのドラマが如何なるものかを、映画然とした映画とは違うなにかである経緯のなかで考えさせてくれる。舞台にあるようなダイナミズム、それもアクターに託されるそれが、フツーの様相のなかで表されるもの、それがふたりには特徴的に表されていると思う。映画作品でありながらも、映画のダイナミズムと違ったものが在る。
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