『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』
★恋をするとまわりの光景が変わる。殺風景なものが明るい色彩を帯びる風景へと変わってゆく。ミネリみたいにミュージカル的色彩に変わるというではなく、あるがままの光景はあるがままに、そこにありながらも、変わるのである。そうしたものをリンクレイターはこの作品に、とても素直に凄く表している。
★三部作の最後の作品は未見だけれど、トレーラーから察するにあのふたりは夫婦になっているようであるが、夫婦生活を続けると、マッタリとなりながらも小競り合いもきっとあり、ときには夫婦双方が些細なことで相手を責めるブチ切れになってしまうこともあるとは思われるが、三部作の最初のこの作品の冒頭、そうしたドイツ人の夫婦がトレイン内に表されるけど、主人公のふたりもやがてあのようになるのであろうか。そうしたドイツ人夫婦から代わり、それぞれの席に座るふたりは相手を見て、そこにトラックインショットが表されるけど、そうした没入、かりそめの淡い恋のはじまるのココロあらわされる。
★『スラッカー』などのように様々に登場人物が変わるはないけれど、会話劇にしてエピソードの淡々と積み重なり、そこにエモーションの凹凸がマイペースにリズムされるストラクチャーはリンクレイター、それまでと同じだけど、男女の主人公それぞれに浮かび上がる人柄やそれぞれに現れてくる相手への想い、ふたりに絞っているがゆえに、人物の奥行造形の在り方、『スラッカー』と『バッド・チューニング』とは自ずと変わってくること、当たり前だのクラッカーに当然にある。
★ふたりの造形:ジェシーとセリーヌが出会うとき、それぞれが読んでいる本が何かを見せ合うとき、あれは驚きを見せる演出的効果と思ったけれど、観ていくと、ふたりの性格を実は表すものなのかと思えてくるのである。でもって、リンクレイターって実はヘルツォークのファンなのかとも思えてくる。ヘルツォークをウィアード・ガイと思っているから、キンスキーをああした感じで出しているのかとも思ったりもしたけれど、リンクレイターの長編一作目をみると、やはりヘルツォーク・フェチなんじゃないかと思えてくる。
*オトコ
・ロマンティスト
・キンスキー自伝
・冒険的で偶然を有し、いわば、オトコノコ的である。
*オンナ
・現実的
・バタイユ
・聖なるもの的に欲望を露出し、やがてムードにカラダを委ねる。とてもオンナノコ的である。
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