◆『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』
『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』において、スポーツマンシップにのっとり正々堂々と闘うということは、協調性ではなく、野生であるということを、あのムキムキマッチョのチェロキーズから教えてもらったが、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』においても別の方法からであるが、野生とはなにかを教えられる。病的なティルダ・スウィントンの美しさ、いつくるかくるかと待っていたらラスト、その野生の正体を現してくれる。やがて転生するあのカップルと同じように、アダムが話す量子のハナシと同じように、何時何処にいてもふたりは愛し愛され続けられるのである。
歪んだギターは『デッドマン』や『イヤー・オブ・ザ・ホース』を思い出させジャームッシュしている。Qool。 夜の世界、とてもキレイである。冒頭、主人公たちイブとアダムにトラックインするローリング・ショットとユニヴァースのカットバックをもって、ジャームッシュらしい此処ではない何処かのエキゾティズムへといざなわられる。その世界は世俗的オタク的に、万国共通に分かり易い世界である。最終盤に有り金ハタイて渡すギター、あれもまた遊び心ではないけれど、ジャームッシュらしい、とてもトリッキーにオタッキーで粋な行為である。最終盤の歌姫の美しい謌に呼応するものであり、ふたりの生き方にQoolに合わさるものである。
ジャームッシュは常にごっこ遊び的なものを、イイ感じで表わしてくれる。リアル的なものにはそれが合っていたけれど、殺し屋モノやこうしたヴァンパイアものには、そのごっこ性がそぐわないにも思っていたが、ストレンジャーやダウンバイローのクリミナルから、或いはそれ以前のチャーリーパーカーから、それ自体がフィクショナルなごっこ性をGoGoしていたわけであり、そこがジャームッシュならではの、そしてゴダールにも通じるカイオワも驚く遊戯性だと思われるのである。ジャームッシュは美を追究している。
ジャームッシュが追究する美とは、ハーモニー的な力動であるそれであり、遥か以前の永遠のヴァケーションからもうすでに美は表わされ始められている。今にも繋がる様式としての美は『ナイト・オン・ザ・プラネット』の互いに地球の裏側にいる人々、そして『デッドマン』のウィリアム・ブレイクとインディアンの関係が築くスピリチュアルなものとして現れている。それらの関係性には空間を超えたものが表わされ、ブレイクや今作のクリストファー・マーロウに表されるものは時間を超えたものが美として追究されていること証す。時空間ここにあらずのデトロイト、そしてタンジールで繰り広げられるエキゾティズムが、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』にジャームッシュの集大成として表わされている。
P.S.
『渇き』に影響されたのかとも思ったり、汚れた血的にはアングラにやはり『処女の生血』なのかと思ったり、ゴシックロマン的にはインディーズの先輩コッポラを意識したのかと思ったりするが、時空間を超えたロマンがジャームッシュの表わしたいものとみれば、やはりヴァンパイアに純粋無垢に繋がるなと思えてくる。
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