mixiユーザー(id:2566286)

2017年08月31日19:27

463 view

水の旅人 侍KIDS



『水の旅人 侍KIDS』
 ハリウッドをなにも意識していないといったら嘘になるような、久石譲によるジョンウィリアムス的なシンフォニー、されど映像的には、ハリウッドを追い抜け追い越せと躍起になっていること全く見せつけない大林マジック、とっても宣彦ペースに引き込まれる。冒頭の方、川を渡る木船の上、フッドからのぞく山崎くんちの努くんの異様な眼差し、まるで一眼レフのカメラの如くに少年を捉え写す。レイハリーハウゼンのような動きにしてもインディージョーンズのような躍動感においても、移される魂は少年の姿であり、そこに勇気と礼節、そしてスピリットが生まれる。ビデオカメラや写真カメラが度々インサート、確かに映される魂が現前する。少名彦はサトルといつも一緒にいる。そして、侍もいつかは少年に戻る。そうしたリンカーネーション、いかなるジェネレーションにも表されるはずであり、そのことは劇場空間、オーディエンスは共有し合う。
 今回は水であるが、燃え上がる鰐淵晴子のハウスからずっと、大林は情動を描く。病としてあるものから継起される情動は、対象の対象が繰り返されながらも不可視としてフォルムが表象する表象として、39回目の優勝おめでとう!白鵬!ひょーしょーじょーっ、魂の痙攣としてムーヴするのである。
 今回もまた感動する。と同時に、最初に観たときの記憶も甦る。原田のトモヨンはえらいハスキーヴォイスであり、出だし、異様な登場を感じたが、あれは演出的意図なのか、それともこちらがそうした印象いだいてしまっていたからなのか。超多忙な当時の彼女はレコディーングをしたばかりでか、声が異様にガラガラの印象。でもなぜか、山でのパトカーを飛ばすときは、いつもの彼女の声に戻っていた。彼女のこの作品での声はずっと謎であり、水の旅人 侍KIDSふしぎ発見である。風吹ジュンは『家族はつらいよ』のときは若く見えたのに、この作品においては、ずいぶん前の作品であるはずなのににもかかわらず、かなりオバサンに見えてしまった。岸部一徳のパパが寡黙であっても子供のことは実に理解できていること、なにか『さびしんぼう』の小林稔侍的なところをダブっちゃうけれど、ここでの風吹ジュンもまた藤田弓子とダブったりする。少々ヒステリックになりかねない熟年女性像であるが、こういった子供を少々理解できないでいる母親像は大林のテクストにおいて度々登場するように思える。『水の旅人 侍KIDS』、いろんな意味で、いろいろと飽きさせないエンタメ作品なのである。映画はムーヴであること、大林、天才的に表現する。


『水の旅人 侍KIDS』P.S.
 ダムに沈んだ場所に、心のふる里があるように言うところ、現在進行形に都市と故郷を表す山田洋次と異なるが、“心の故郷”という憧憬を表さんとするのは、とても同じところある。山崎努が黙って風吹ジュンを見るシーンが2つあるけれど、ジュンがむかしはよかったなーと言うけれど、これまた『さびしんぼう』での富田靖子が藤田弓子と出会って言うところと似たものを感ずる。昔のあんたはそんなんじゃなかった、と言うさびしんぼう、なるほど、自分のことであるのなら、もはや子供時代を忘れつつある自分に、そういうことを言えるはず。少名彦は彼自身の老いを受け入れつつも、ノスタルジック心模様になっている少年の母親に、同情を想うのである。同情は童心へ、というより、人が潜在的に知って想う絆に向けられるものであろう。“心の故郷”はダムの水の下に潜在しつつも、勇気と先祖への礼節をもって掘り起こせるものであること、水と同化すること託される少年に、魂写し移される。映る魂に表されること、それは童心に戻れという以上に、繋がりがある流れに身を素直に置くことが、ラストは何気にE.T.の有様になっちゃったけれど、人々に託されるのかと思うのである。



1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年08月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

最近の日記

もっと見る