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2017年08月29日23:19

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虹をつかむ男


『虹をつかむ男』
  虹は映画であり、幸福であり、家族やいろんな人たちとのつながりが表される。虹は寅と私たちをつなげる橋ともなる。主人公は虹の橋を掛ける。ラストははぐらかされた気分であるが、リスペクトする故人のメモリアルであれば当然に必然となる。Rest In Peace、渥美清より優れた口上はなし、と、なってしまうと、それを言っちゃお終いよ、となっちまうんだけれど、ハナ肇、渥美清、西田敏行という流れ、洋次的にはテキヤ口上が好きであり、どのキャラも口がまわる。今作を観ると、この流れのなかで、シネマ仏蘭西語を披露する西田は他と違ってインテリ貧乏なのか、と思ったりしたけれど、はて、インテリとバカの違いはなんぞや?と振り返り、山田が描いてきた庶民キャラはどれもインテリもバカもゴッタ煮して変わりないものだと気付く。松竹の諸先輩の方々が生んだ庶民と違って、山田は高度成長社会のオーディエンスにフィットした、或る意味、歪な側面も伺える庶民的キャラたちをフラン剣に生み出していったのかなと思えてくる。『下町の太陽』の勝呂誉から『家族』『故郷』の井川比佐志を経て『家族はつらいよ』の橋爪功まで、思えば遠くへきたもんだ、と、高度成長社会の影と太陽の混ざり合いが、ときには健さん的にペシミスティックに、ときには寅さん的に能天気にヴァイスヴァーサ浮かんだり消えたりする。それらは学はねーけど一本筋だ、てやんでい、というキャラとなったり、前髪たらし誠実なる佐田啓二的中産階級キャラとなったりと、かつてのように分別することなく、雑種となっているのである。前述のハナ肇、渥美清、西田敏行も勿論そうした流れに生きているのであり、西田によって肉体化されたかっちゃんはそうしたもの丸抱えの素晴らしき野郎に見えてくる。かっちゃんはまたジャックドゥミやリヴェットに通じるロマンティストでもある。雑種たる現代人は歪なミュータントにも見えてくるのだけれど、それは不器用という現代人の等身大の質を現している。不器用は山田の質なのであろうけれど、それは或る意味、この時代にとんだバカ野郎的に合いまくっていたのかと思い知らされる。死を描いたり懐かしさが生まれたり、また尾道が回帰されるところで同じ感触が二人にはあるなと思ったのだけれど、懐古趣味に意図的に成る大林と違い、山田は常に現在進行形なのかと思い知らされもするのである。



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