『ダーティハリー4』
ダーティハリー4、驚くほどにダーティハリーしていた。お約束事も当たり前か、ダーティハリーだもの。スピルバーグと同様に、イーストウッドもまたトリュフォーを敬愛しているのか。スピルバーグはトリュフォーの作品を純粋に好きだから彼をキャストしたのであろうが、イーストウッドの場合は彼の「作家主義」的なところが好きなようである。
ハンコックのRock Itみたいなオープニングには、あーこうした時代だったんだなと思ってきたわけだけれど、その後はヒッチコックの『めまい』的なイメージの満載となっていく。ローアングルで自身を見せることや隣に彼より背がかなり低い人を並ばせることでイーストウッド、彼のノッポぶりを強調するけど、ここにはジェームズスチュワートを偲ぶところあるし、男が追う先には愛する女性がいるしで『めまい』的。ヴァーティーゴだけではなく、車椅子に座る人物の背後からその正面に回るところは『サイコ』であり、『見知らぬ乗客』的なメリーゴーランドが表わされたりとヒッチコック・オン・パレード。しかしながら『ダーティハリー4』、フロイト的な転回というよりダーティハリー的ストレートな転回であり、ドンシーゲル譲りのクロースショット。情動を複雑にさせずにスカッと誰しもが爽快に感じさせるようにストレートに表わすのはイーストウッド印である。たけしはスコセッシなんかより、イーストウッドにとても影響を受けているのかと分かってくる。
たけしはブレッソンにも影響を受けていると思うけれど、イーストウッドもルーティーン的なものを変化を与えながらその展開表わす。それはブレッソンからというよりシーゲルからの影響なのだと思うが、そうした変化を描く事できるから、人物の微妙な変化をこちらが気が付かないうちに描いてしまう術があるのだろう。トリュフォーが彼のことをどう評価していたかを知らないけれど、きっと気に入っていたと思う。
それにしても、後年はジェントルマン的になるも、『恐怖のメロディ』やこの作品や他にもあるけど、そして『J・エドガー』もであるが、女性に対する強迫観念はなんなのか。マッチョをこうした形で表わしているのか。映画テクスト外で、散々な目にあわしたソンドラロックへの負い目と償いの気持ちは『許されざる者』や『グラン・トリノ』の痛手を受ける女性たちに表わされているのか。彼が表わすストレンジなネットリ、或る部分が女性たちに表わされる。
P.S.
なるほど。あの砕け散る鏡がある。ソンドラロックのフラッシュバックではない今此処を見る、あの両目、そして彼女が描いた絵画の空洞の両眼は、グリッドが積み重ねられながら、我々の眼が移動、追ってゆく。砕ける鏡は遊園地の砕ける硝子や眩暈のメリーゴーランドやジェットコースターへといざなわれ、我々の眼差しはやがて死んだと思われた逆行に立つゴーストへと帰着する。『ダーティハリー4』、カイエが好き好きであると同時に、彼らからも好き好きされるコンディションがととのえられている。
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