誰かのサイトにいって覗きながら、ゴダールとパゾリーニのパンクの68年とPiLとポップグループのポストパンクの78年の違いはこういうことなのかと思った。でもって、性具、もとい政府がイタみが伴う社会を、と、この20年言い続けていることはこういったリスクのことを言っているのかと妄想、もとい想像してしまった。以下、借用。 * 工業資本主義から記号資本主義へと密かにシフトした世界…77年とは我々の生きる今への転換点だったというのです。金融資本と知的産業の接合により知性・感情・人間関係・イメージ・性…あらゆるものが商品化されていく…つまり我々から取り上げられていった。【「NO FUTURE―イタリア・アウトノミア運動史」の書評】 → * 記号資本主義とは「メディアと資本の融合によって特徴づけられる新体制である。この圏域において詩は広告と出会い、科学的思想が企業と出会う。」(P24)「エコノミーとテクネーの結婚によって民主主義は死語になった。」(P43)ベックが『リスク社会』で述べた科学技術の「サブ政治」化を参照。 → *「「リスク社会」とは、ドイツの社会学者ベック、U. が、「近代性」の社会理論の基本概念として『危険社会』で提案した概念である。ベックによれば、経済と科学技術が発展し近代化が進むにつれて社会は、富とともにリスクを生産するようになる。ただし長らくは、物質的な困窮が社会の問題であり、いかに富の生産を拡大し、公正に分配するかが重要な論争のテーマであった。ベックはこれを「産業社会」と呼んだ。しかし富の生産が拡大し、物質的困窮が縮減する一方で、科学技術や産業経済の発展に伴って生み出されるリスクも飛躍的に顕著なものとなっていく。こうして、富の生産と分配ではなく、リスクの生産と分配が重大な社会的論争のテーマとなった社会が「リスク社会」である。そこではリスクは、天災のように社会の外部からやってくるものや、無視可能なたんなる副産物ではなく、産業経済の成長や科学技術の進歩など産業社会の発展そのものによって生産され、何らかの対処を社会に迫るものとなっている。産業社会における近代化は、前近代的な伝統や、社会の外部にある資源であると同時に脅威である自然を相手に進められてきたのに対し、リスク社会における近代化は、これまでの近代化の前提とその限界に直面しているのである」
Public Image Ltd
The Pop Group
ログインしてコメントを確認・投稿する