おもえばドミニクサンダ、やさしい女から二人の女、すなわち彼女の70年代、モダンを演じてきた。コンフォーミストのアンナ、1900年という時代を生きた女性もそうだろうし、主人公を産んだ家族の肖像の母親、初恋の女性、そしてルーサロメ。前衛である。
adのピンナップガールからゴダールのミューズへの軌跡、そして離婚後、あんな子かーいなぁ、アンナカリーナ、エロスの告白は三つのシェーマにあらわされる。
思い出は残されたまま、オンナはその部屋のなかシャッターを閉める。その途端、オトコは突然現れ、彼自身のことを陽気に、洗いざらい吐き出しゆく。終盤のダンスホール、ロストジェネレーションの末裔と大人から本当の話を聞かされればされるほど嘘に思えてくる若者がいる。世紀末へと向かう時代に、彼らはタンゴとは言えない儚く危険なラストタンゴを踊る。
冒頭のメトロ高架線の下にいるオトコは『革命前夜』の青年の成れの果てか観念の成れの果てか、、それは観念そのものなのかもしれない。影はつきまとう。オンナは恐怖しながらも関心を向ける。彼女は安定を求めない。オトコは不安定な生き物である。男性自体が謎の観念めき、ローザの死は我々に十人十色に投げかけられる。我々はそのエキゾティズムに生きるとき、ヘミングウェイやジーンケリーだけではなくベトナム戦争やウォーターゲートといった混沌をも、その巴里のアメリカ人に見出すだろう。闘争など終息を迎え安定に戻るかのようでありながらも実は、今へと続く不安定なる時代の幕開けだともいえる72年。
★
★
★ ベルトルッチ

マリアシュナイダー
19才だったのか。池玲子と同じように19才とは思えない19才である。はやく大人になろうとしていた時代とはいえ、19才には大変な経験だったと思う。『さすらいの二人』と『ラストタンゴ・イン・パリ』はインパクトの時代の永遠をあらわしている。
ログインしてコメントを確認・投稿する