王手、購入したので観る。おもしろかった。数年ぶりに観るも、かつてはかなり何度も観ていた作品。映像研究のためというよりは好きだという理由で、である。用心棒の桑畑三十郎もそうだけれど、本作の主人公もノマドのような生き方、なんだかカッコよい。この後ドラマに引っ張りだこになる赤井英和であるが、棒読みなせりふ回しが逆に作品にフィットする。ストラクチャー、というか組み立てられ方がなにか露わとなっているかのようで、それが逆に作品の魅力となっている。粗削り、というではなく、機械的なむき出しがある。しかしそれは冷たいものではなくあたたかなもの。人の温もりがある。コリグラフィーのような、振り付けられたような人物たちの所作やカメラ・ムーヴメントがリズムを奏でる。コントといったら失礼になるかな、でももうほとんど全編においてコントのような台詞、それもまた粋である。新世界の将棋場へ向かうトビタのヨッと声をかけるところ、ゴダールと同じように世界の雰囲気を切り取る。そこから繋がる中での「まいど」と言う響きや、中盤の駒を置いてからの大きなズームアウトが世界をふくよかにする。大きな世界があちこちに表される。ラストのヨッ、余韻をのこす。
新世界というトポスが表される。主人公トビタが通天閣のように聳え立つ男になる噺を中心に、いつも巻き込まれる加藤雅也(元登校拒否児を上手く体現している)の勝負と恋の不器用な駆け引き(仁藤優子、下町っぽい髪型が逆にエロティックを醸す)や庶民生活の粋が表される。前まで若山先生が言う東西南北の四天王のことを日本列島でのそれと思っていたけれど、新世界の中でのそれなんだな、となる。もうひとりの主人公は新世界なんだよな。金子信雄が言うように、新世界には新世界のルールがあるんだ。外から引き寄せられてもやってくるんだ。そう表されるのは日本海側からやってくる広田レオナ。勝負師とストリッパー。まさにストラクチャーを際立たせる。赤井と広田、加藤と仁藤、男と女の心意気がよい。闘志という意地、根性という意地、そして愛情という意地が世界を生む。新世界を生むのである。そんな心意気もいいが、そのトポスに住む人々の世界もまた粋なのである。トカレフ持ち出す金子、いけずか本音か分からない飄々とした松之助、コンタクトレンズを落とす若き日の國村隼、愚痴りながらも勝負の新世界を愛する汐路や梅津、そしてこの遺作をその存在感で逸品に変える若山先生。新世界が主役であり、それすなわち、その代名詞である通天閣をリプリゼントするトビタが際立つこと当然であり、それすなわち、機械の鉄塔の組み立てと同じようなシネマトグラフの輝きなのである。機械であっても人の温もりがある本作、好きである。
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