せかいのおきく、おもしろかった。川の水面の輝きからフン溜めから手水鉢の清水、と、そのつながりが表され、世界に帰し、世界から生まれ育まれるものか、と頭に浮かぶ。されど、なにをもって本作は「せかい」を言うのだろうか、と頭に浮かぶ。阪本順治はやはり王手が好きであるが、それに繋がっているかのような噺、それもそれは硬質な感じでのもの。王手もそれなりに硬質であるが本作は王手よりも硬質な噺。噺はなにも笑点や駄洒落ばかりではない。人が生きている此処での出来事。青春青春とラストの方に連呼されるが、長屋人情噺が現代性をもって表現される。現代的に言えば、エモかな(もはやこれも現代的には死語かな?)。落語家の師匠たちが噺を現代的な解釈をもって現代のお客に向けて噺をするのと現代的に同じなのである。章ごとに白黒映像で表されるその最後に1ショットがカラー映像となるけれど、「せかい」とは我々が生きる此処のことかな、となる。此処は美しいとさりげなく改めさせてくれる。
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