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2024年02月10日18:12

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映画日記『夜明けのすべて』

新作封切りの金曜日。
『梟 -フクロウ-』に続いて2本目。

2024年2月9日(金)

『夜明けのすべて』(2024年)
監督:三宅唱
名駅・ミッドランドスクエアシネマ2

ヒロインの藤沢さんはPMS(月経前症候群)が原因で、せっかく新卒入社(だとおもう)した職場で突発的な怒りから上司に食ってかかり、周りから白い目でみられてしまう。さらに、服用した薬のせいで大失態を演じてしまい、とうとう逃げるようにして退社することになった。きっと、その後も職を転々としたのだろうが、いまは学童向けの顕微鏡や望遠鏡の工作キットを作る小さな町工場に勤めている。
そんな彼女の職場に、最近転職してきた山添クンという男がいた。
ある日、山添クンの覇気のない態度と、彼が愛飲する無糖炭酸飲料のペットボトルの、プシュッという開栓音にイラッとした藤沢さんがブチ切れてしまった。
やがて藤沢さんは山添クンがパニック障害であることを知る・・・・

この映画で初めてPMSという言葉を知った。
そういえば、40年ほど昔、職場に情緒不安定な女性の部下がいて、何度か感情的にぶつかったことがあったが、いまになっておもうとPMSかどうか分からないが、何かしら心身の悩みを抱えていたような気がする。
もしも、その当時にこの映画を見ていれば、少しは理性的に話し合えたかもしれない。
パニック障害という言葉を知ったのも、つい最近のことだ。
ということで、私みたいな古い人間には、本作は啓蒙の映画だった。

『夜明けのすべて』はPMS女性とパニック障害男性の、出会いと別れの物語。
こう書くと恋愛映画みたいだが、ふたりがイチャイチャするようなシーンはまったくない。
というか、男女が出会えば、すぐさま恋だセックスだと、男女の仲を一律にそっち方面の色眼鏡で見てしまうのは、私みたいな「昭和世代」のダメなところ。
そんな意味でも、啓蒙の映画だった。
しかし、男と女の恋愛や性愛は描かれないが、情愛はしっかりと描かれる。
藤沢さんが山添クンの髪の毛を切ってあげるシーンを皮切りに、ふたりが休日出勤したり、車の窓ガラスを洗ったり、いっしょにプラネタリウムのセリフを考えたりといった、ささいな日常のできごとを、ていねいに積み重ねていく。
男と女の友情というのも違う気がするし、心の状態に不安を持つ者どうしの連帯というのは、おおげさすぎる。
ふたりの別れも、お涙頂戴の愁嘆場でなく、あっさりしたものだ。
うまい例えではないが、急に降りだした猛烈な雨に、ちょっとした軒下で雨宿りをしてた見知らぬ男女が、せまいところで濡れそぼつ肩を寄せあい、ぼそぼそと愚痴や身の上話を交わしているうちに、雨があがったので、「ほな、さいなら」と別々の方向へ別れていくみたいな感じ。
主人公のふたりを演じた松村北斗と上白石萌音がともに好演。
とりわけ、上白石萌音の地味さと、序盤の痛々しさは特筆もの。
町工場の社長役の光石研と、山添クンの前の上司を演じた渋川清彦もいい。
このふたりの存在が、物語にふくらみを持たせる。
町工場の肌の浅黒い息子をもつ母親や、転職アドバイザーの女性はどちらも訳ありのシングルマザーだろうか。最近よく見かける丘みつ子扮する老女や、町工場の従業員たちひとりひとりにも、「その他おおぜい」ではなく、きちんとスポットをあて、物語を構成する不可欠な登場人物として描いている。こういうところが三宅唱監督の良さ。
藤沢さんと山添クンを中心に、彼らを取り巻くさまざまな人たちによる、そんなこんなの出来事が一段落し、映画は町工場の昼休みで終わる。
暖かな日射しのなか、工場の空き地で雑談やキャッチボールが始まり、みんなの注文を聞いた山添クンが、自転車に乗りコンビニへと走り出す。そんな職場のありふれた光景が多幸感に包まれた。
PMSやパニック障害を抱えてしまった主人公たちが再生するには、自力ではとうてい無理で、さまざまな人々の有形無形な関わりが必要ということだろう。
とすれば、本作は紛れもなく、みんなの映画だった。


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