チャップリンの独裁者おもしろかった。逃走迷路がアメリカんリバティのスターリンに対する戦いなら、本作はアメリカんリバティのヒトラーの帝国主義に対する闘いである。サイレントやモダンタイムスに比べてもカタカタした動きでのドタバタではないけれど、24frame Per 1 Secondのほぼ人間所作と同じものでもチャップリンの動きは笑いを生むことできるのだな、とサプライズ。放浪紳士の動きも帝国総裁のかろやかなバレエ風動きにしても、カメラでごまかしているわけではない元からある動きなんだな、とサプライズ。動きによるスラップスティックも満載であるが、ヒトラーを模した総裁が語る出鱈目ドイツ語はオマノトぺというよりも言葉のスラップスティックであるといえる。そんな感覚が本作から湧き出る。さすが笑いの総裁、チャップリンである。冒頭の方、帝国主義の総裁は民主主義は終わった、自由は終わった、と演説する。対応するように、お笑いの総裁はリバティは終わることはない、ユダヤ人にも肌の色が違っていても愛し合おう、とチャリティーを謳い作品は幕を閉じる。のちにチャップリンはアメリカにより自由を剥奪されるわけだけれど、この時期にはまだアメリカんリバティを頑なに信じていたのであろう。弾圧に対する自由の抗いが笑いと勇気のドラマに表される。担い銃のとき戦争とお笑いを作品で一緒にすることをまわりは反対したとのことであるが、決行した結果、作品はヒット。本作もまた批難があったようであるが、それはきっとホワイトハウスとハリウッドのみからのものであろう。アメリカはまだ参戦前であり世界情勢に対して刺激することは避けたかったのではないかな。でも、チャップリンの作品群のなかでも一番の大ヒットらしく、大衆的にはラストの長い演説も心に響いたのではないか。これもベトナムウォーやウォーターゲートなんかで国家の裏切りをどえりゃー強く感じる前の、或いはマッカーシズムやアトミックボム前の、アメリカン信念が崇高に掲げられていた時代ゆえのことか。戦後にアウシュビッツの大量遺体を見てチャップリンは、知っていたら本作を恐怖のあまりつくることできなかった、というようなことを言ったということ聴いたことあるけれど、それほど想像を絶するものがアウシュビッツに表されていたのだろうけれど、本作を再見すると、ゲトーに閉じ込めたり大量処刑と言ったり、当時アメリカに伝わっている範囲でもほぼほぼ現在我々が認知する戦争時の状況と同じだと思えはする。も、アウシュビッツでのことは、まさか人間がここまでできるのか、という想像を絶する非人間性あからさまなことだったんだろうね(アトミックボムを堕としたアメリカ人がそんなこと考えるなんて信じられないけれど)。ポーレットゴダード綺麗である。彼女はモダンタイムスと本作の間にボブホープとの共演作もあるようであるが、もうこの時代になると、チャップリンのトーキーでのライバルはマルクス兄弟だけではなく珍道中シリーズもでてきているのだね。でもチャップリン特有のロマンスとペーソスがあるから、セリフありのドラマでもやっていけるのではあろう。とはいえ、まさかと思ったであろうアメリカによる迫害により、本作の劇中人物たちはオーストリアを模したであろうオスタリッチに亡命するけれど、チャップリンはスイスに亡命する。本作のなかで主人公が謳う愛なぞこの世にはあるわけないことを知る。或いはそんなこと先刻ご承知なのだろう、だからこそカインドネス、ロマンス、ペーソスを生涯あらわしていったのだろう。チャップリンと別れたあとのゴダードもスイスで余生をおくる。ふたりはスイスで会ったりしたのかな。想いはひとつだったのかも。チャップリンは生涯、放浪紳士の気品を示すのである。
ヒッピーがボーントゥビワイルドと言う前の時代だったからであろうか、或いはイギリス出身だからかな、チャップリンもヒッチコックもとても気品を大事にしているように思える。
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