《三陸9》承前
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川崎シネコンでの1日の上映回数が「73回」。
タイムテーブルは南武線の時刻表よりも密
143『すずめの戸締まり』★4.5
ストーリー自体はあれだったけど、声優たちが素晴らしかった。
そして、すずめのために尽くしてきたのに、すずめから冷たい仕打ちを受けている環さんや、草太を助けるためにロングドライブのハンドルキーパーをしてくれているのに、すずめから雑な扱いを受けている芹澤くんの人間性が好き。
どれほどの興行収入の記録を作るのか、そんなことも興味のひとつ。
ところで、大臣はどうして彼を椅子に変えちゃったの?
誰か知っていたら教えてね
宮崎から宮城へと《3.11》を鎮魂するロードムービー。
東日本大震災の震災遺構巡礼をしている自分なのに、そんなストーリーとはつゆ知らず、鑑賞後にはとにかく気仙沼での一つの出会いを書き留めたいと、mixiのページを開いている。
果たしてこの作品の聖地がどこであるのか、わざわざ調べることはしないけれど、個人的には『気仙沼』に、この映画の雰囲気を見つけていた。
《三陸9》中抜き
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983688801&owner_id=8666179
日記はようやく登米にたどり着き、宮城の明治村を巡っているはずなのに、映画『すずめの戸締まり』を観た高揚感は、一気に時間を飛ばして、気仙沼でのある出会いを書き留めずにはいられない。
さて、どうだろう。
芹澤くんのカブリオレが雨漏りを起こし、休んだドライブインが大谷海岸
そこから北上すると気仙沼が見えてくる。
《杉ノ下地区東日本大震災慰霊碑》
お伊勢浜公園。
この丘の右手に、すずめが最後にたどり着いた故郷の電波塔が見える。
そして、気仙沼は海に漏れた重油によって、火の海となった街。
夜を徹して海上にミミズがのたうち回っていた現実。
今回、三陸での震災遺構巡礼で流した涙は3回。
慰霊碑に書かれていた銘を何度も読んだ。
《『ここに居れば大丈夫だ』…しかし無残にも第一波で下手から家や車が押し寄せ、そして第二波、第三波が…九十三名の尊い命とすべての財産が海へと散った。あの一声が無情の叫びに…》
何度読んでも理解できない部分があった。
慰霊碑の周りを草むしりしていたおじさんに問いかけてみた。

「ここに刻んである銘の意味は…」
おじさん。おいらの眼を見て、少し微笑んで、そしてはなはだ悔しそうに 3.11 の現実を語ってくれた。聴いていてただただ震えを感じていたのを忘れない。

「この丘はね、集落の自治会長の自宅だったんだよ。大きな家でね。チリ地震津波の時にも、ここの丘には津波がこなかった。だから、何かあればここに来れば大丈夫だって、集落の人たちはみんな思っていた。つまり『ここに居れば大丈夫』、みんなそう信じていたんだ…」

「毎月、毎月、繰り返し避難訓練をしていたんだ。だからあの日、地震がきたから60人近くの人たちが自治会長の自宅や庭に避難して。だって、ここが避難場所だったんだからね。
ところがね、津波は想像をはるかに超える高さでやってきた。今でこそ防潮堤があって海が見渡せるけど、当時は松並木があったから、白波が立っていたこともわからなかった。でべそ型の丘だから、360度、どちらへ逃げ出そうにも下に行くことになるから、その決心もつかなかったんだろうね」

「ぼくは消防団に入っていたから、防潮堤の水門を閉めるために避難はしていなかった。ただ、堰に入っていた海水の水位が下がってきたから、”これは津波が来るな”って気が付いて…自治会長の丘に行くことも考えたけど700mぐらいあった。津波がくるまで10分ぐらい。それなら、逃げながら後背の高台、中学校へ避難しようと消防団の連中を連れてね。それでぼくは助かったんだけどね。(その時に)ここに来てたら、いまこうして話してはいないよ」

「慰霊碑に『ここに居れば大丈夫』ってあるだろ。この言葉が、次の判断をさせなかった。全部、持ってかれちゃったんだ」

「どこから来たの?」

「神奈川県から

」

「神奈川っ

横浜のほうかい?」

「いや、川崎といいまして、東京と横浜に挟まれたところです」

「びっくりしたよ。実は、気仙沼は仮設住宅の建設が遅れてね、6か月ほど神奈川県の避難施設にお世話になっていた。相模原というところで、とても良くしてもらったよ。神奈川って聞いて、なんかその当時のことを思い出しちゃって

」

「1年に1度、できるなら被災地を回って 3.11 を忘れないようにしています。なんか、おつらい話を伺って、申し訳ありませんでした」
そんな言葉で感謝を伝えると、おじさん、ふっと笑顔になって、

「いや、わざわざありがとうね」なんて、言ってくれた。
15分ほどの優しい会話を交わし、おじさんが軽トラで去っていくのを感謝の気持ちを込めて見送った。
あらためて慰霊碑の前に立ち、この集落で犠牲になった93名の銘版に目を向けた。
年齢は70代、80代、そして5歳や6歳。いわゆる現役世代男性の名前が少ないのは、働きに出ていたからであろう。そして、40代の女性たちの名前。
先ほどおじさんから伺った話を反芻して、銘板を読んでいたら、溜めていた涙が溢れてきた。濡れた瞳をそのままに、両手を合わせて祈りを込める。どうそ、安らかに。
頭を垂れて祈りを込めていると、トンボが1頭、2頭とぼくの周りに飛んできた。
ふと空を見上げると、これまでいなかったトンボたちが5頭、10頭と群れをなしてやってきた。このトンボたちは、軽自動車でこの村を離れるまでついてくる。
映画『すずめの戸締まり』では、蝶々が舞っていた。そんなシーンとラップする。

「また、くるよ

」
トンボたちに向かって、通じないであろう言葉を告げて、三陸の旅、ほんとうに心の中が清らかになる。
『すずめの戸締まり』がヒットすることによって、11年前の3.11が、再びたくさんの日本人の心に芽生えさせることができる。とても大切なアクション。
気仙沼にいたはずのすずめと草太は、いつの間にか岩手にいて、三陸鉄道の『織笠駅』で別れを告げる。
聖地巡礼も、被災地のことを想いながら静かな鎮魂を送って欲しい。
(つづく)

「すずめの戸締まり」製作委、作品の舞台訪問は「近隣住民への配慮を」と呼びかけ
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