朝ドラの通過儀礼・昭和16年がやってきた。史実を知らないので新鮮だったけれど、のぶさんはアンパンマンとの結婚は初婚ではなかったんだね。『あんぱん』の朝が楽しみで仕方がない
《承前》https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990049567&owner_id=8666
『いちご白書』はコロンビア大学。Love means never having to say you're sorry.そして、元祖・難病物の『ある愛の詩』がハーバード大学だった。初見はおそらく中学生時代だったから、後悔しない愛なんていわれても何も気がつかない。ライアン・オニールの
大賀ホールから得た少し哀しい人生訓。《承前》https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990037965&owner_id=8666179登場人物は4人。HIMARIの演奏に聞き惚れる800余人の観衆たち。しわぶき一つない小さなホールに、やがて「コホッ、コホッ」とささやかな咳の音。こ
きっかけはZOZO前澤
彼が13億円で購入した1717年製のストラドをわずか13歳の少女ソリストに貸し与えているというニュース。カネ配りで人としての質を落としていたZOZO前澤の圧倒的なメセナ活動。COCO壱番に続く。ストラドを手にしたソリストは、もともと
外国人運転手による逆走事故。あってはならないことだけれど、実はあまり強く批判できない立場の記憶がある。3年前。奇跡的にも、或いは幸運にも、当時ウィッシュリストのトップにあった《落水荘》へ訪ねることができた
生涯でトップクラスメモリーの旅
サン・ヴィンチェンツォ・マルティーレ教会
抽選予約はほぼあきらめているので西ゲートから疾風の如く走って、なお2時間待つか、それとも彼がローマへ戻り安住したのちに現地を訪ねるか。後者。数年ののち、イタリアで観ることになりそうだ![]()
大相撲中継を観ていた。砂被りに身長3メートルぐらいの外人男子がどっしりと座り、その隣に体重200�圓阿蕕い凌栃�審判。その審判の後ろには身長120�僂阿蕕い粒或揚�女が、デブとのっぽの陰に隠れたり、顔をのぞかせたりしながら、必死に土俵上のデブを追って
最終日に間に合った。残り90分で邸宅ギャラリーを堪能する。担当のギャラリストが笑顔で迎えてくれて、展示された作品の年代や背景のガイダンス。いつもながらありがたい。豊福知徳(1925-2019)ここ《みぞえ画廊》での出会いが初めてだろうか。それとなく福
平塚市美術館で開催中の中村正義展に触発されたのか、或いはそれがひらびーとしての宿命なのか。西生田中の同級生たちがたくさん生息していた細山あたり。大学時代に高校の同級生たちと土足で上がってRCサクセションを歌っていた深夜のよみうりカントリー18番
スピーチが上手い![]()
今回いただいた感想の中で嬉しかった言葉が、
「深刻な話だなと真剣に聴いていたら、すとんと落とされた
」主賓の祝辞をあっさりと食い潰した。忖度しないそんな姿勢も誇りである
《群馬3》承前https://mixi.jp/
今年の母の日は武蔵国一之宮《氷川女體神社》
決して女体の響きに釣られて行ったわけではない。ぼくの周りの多くの女性たちが、すべて健康で長命でありますように。そう願いと感謝を込めて。川崎にも女体神社はあるけれど、あまりにも御朱印の揮毫があ
ロングドライブで向かうは利根川を渡り大蛇の里
2025年大蛇まつり。そんな一日。前橋あたりからスタートして桐生あたりまで走る私鉄ローカル・上毛電気鉄道
大胡駅には80歳代のじいさんがいて、呑気に、そしてフレンドリーに接してくれる。なぜここ
今日も変わらずにチョコミント
31種類もあるのに、もはやワンアイスクリーム
《アートレビュー》奇しくも5月2日。涙雨、というよりは号泣雨の降る中、小さな約束を守るために出掛けた価値のあるイベントだった。『WHAT CAFE EXHIBITION vol.41』(
伝統の一戦を観戦しようと、のぞみに飛び乗って遠路甲子園
大人気・万博とゴールデンウィークが重なって大混雑の新大阪をスルーして、新神戸からの道行。いつものように甲子園神社(自称)に参拝して、星野仙一の《夢》に感謝。レンガメッセージをチェッ
我が山にたなびく鯉のぼり連。グランドサン宅には「いせ辰」と「久月」
健やかなれ。
アートレビューDMをいただいてオーナーへの挨拶がてら天王洲。今年2回目
MAKI Gallery で近年パワープッシュされる塔尾栞莉と田村琢郎のツープラトン。
こんなに幸せなことがあるだろうか。←ない
フィリックスガムの《あたり》
まるで年末ジャンボに当たったかのような歓喜の舞
早速、ミニストップで交換だ。幸運の兆しは地元・産土神社にて。駐車場へ向かう道すがら、境内へと足を運んで日々
丹下健三、菊竹清訓、大高正人、前川國男、坂倉準三、 村田豊、大谷幸夫、高橋靗一…これが1970年万博の建築家たち。まだ6歳のチェリーボーイだったおいらにとっては、何ひとつ縁のない人々だけれど、当時、この地を訪れて建築家を目指した人々が確実に