《三陸4》承前
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登米。
「とめ」が正解だと思っていたが「とよま」も正解だった。
自称《宮城の明治村》
わずか3時間40分の滞村。
《森舞台》
バブル全盛期。
日本全国、鉄筋コンクリートに溢れ、隈さんすら鉄筋コンクリートだらけの『環八M2ビル』(1991)を設計している。
この『M2ビル』が彼の黒歴史。しばらく仕事を失っていた隈さんは、縁あってここ登米に能舞台建築の仕事を得る。
高知県梼原で木造の魅力をあらためて発見し、この登米で森と調和させる木造建築に携わることで、日本において木の大切さや存在感に気づかされたという。
舞台の壁画は千住博作。
『とむとむどんどん』は3回で観るのをやめたが、100回で観るに堪えられなくなった『おかえりモネ』。この登米が、実は重要な舞台だったようだ。
この能舞台でモネのおばあちゃんである夏木マリが能を舞う。
そんな夏木マリは『ひまわり』では、松嶋菜々子の母親なのだから、不思議なものだ。
開館早々に訪れたら、受付のおばさんが滔々と登米の魅力を語ってくれた。
彼女のアドバイスに従って《宮城の明治村》散策がスタートする。
《登米神社》
受付おばさんのコースには入っていないけれど、訪ねた土地での神社奉拝は我がルーティン。苔むす階段を上り、手を合わせる。
《警察資料館》
京橋の資料館よりはフレンドリーで、パトカーに乗ったり、留置所まで入ることができる。
これまでの人生でパトカーに乗ったことがあるのは1回だけ。中学3年生の時の貴重な経験。この時が原因で、高校1年の歌舞伎教室を無念にも欠席する羽目になった哀しいトラウマ。
留置所には入ったことがない。なので、臭いメシを知らない。
警察資料館の裏手にあった名もなき建物。
天井のアーチが美しい
《高倉勝子美術館》
高倉勝子(1921-2015)。
寡聞にして知らなかったが、受付のおばさん曰く「広島から戻ってきて、地元から出たことがないから、ちっとも有名じゃないわよ

」と開き直っていた。
撮影禁止の館内は人っ子ひとりもいない貸切鑑賞。
『宮城の明治村・共通鑑賞券』を買っていたので、それほど真剣に鑑賞するつもりもなかったのに、ある屏風画に目が留まり、そして足が止まる。
『北上山系・時は晴れて』と題された墨絵風の油彩画には、達筆としか言いようのない筆字が綴られている。絵画とともに、その筆字の美しさといったら筆舌に値する。
新婚当時、暮らしていた広島で被爆し、その後、生まれ故郷の登米に帰り、長く教壇に立っていた高倉女史。最晩年(確か85歳)に、広島で経験したことを大作に遺したい、いや、遺すべきと筆を奮った圧倒的な抒情作『原爆の図』。
丸木夫妻の残酷さよりは、実際に被爆してその地を離れるまでのリアルドキュメントなタブローと日記が胸を打つ。
「近道をと畑中の道をとおり 広島駅に行く 途中見たのです。七十五年間草木も生えないといわれた廃墟に芽が、あおい芽が出ている。新芽が。芙蓉の花とくちなしの花が清らかに咲いていた。芽を出して。そして伸びて。私は泣いた。声を上げて泣いた。私も生きなければ。」謹書・勝子。平成18年8月15日…
受付のおばさんが、貸切鑑賞の終わったおいらに話しかけてくれた。

「神奈川からわざわざ…いかがでしたか?」
北上山系の感動と、原爆の図の印象をお伝えすると、

「全国的にはあまり知られてはいない画家さんでしたけど、地元の誇りなんですよ

」と、笑顔で語ってくれた。
達筆であることも感想として添えてみたら、小学校の時に出した書道の展覧会で、審査員のすべてが驚くほどの揮毫で、画家よりも毛筆家で会ってもおかしくない少女だったという。

「美術館の後ろに《桜小路》とあるように、この辺りはサクラの季節も素晴らしいんです。是非、今度は春にもいらしてください。作品も春に合わせて展示替えしますよ

」なんて、森舞台といい、桜小路といい、地元のおばさんたちが見事なまでにフレンドリな登米市。
まだまだ書き足りない。
(つづく)
■愛されすぎて…土方歳三資料館が長期休館へ 史料整理の目的も
(朝日新聞デジタル - 11月11日 07:33)
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