ブニュエルとフェリーニをカソリック価値観に呪縛された人々のとして観るではなく、そのユーモアや絵的なものとして愉しもうかな、というのも、現在のヨーロピアンはもはやそうした呪縛にかかってるのはほとんど皆無なのではないかな、と思うから、もはや日本人がイエに縛られていないように。
転校生は尾美としのりの存在感や間の取り方が印象的だったという記憶であったが、今回は、小林聡美の方に印象を残すこととなる。尾美としのりはほとんどメソメソしている観である。尺に対するショットの数は、さびしんぼと時かけに比して多いような感じがし、より映画を観ている観がする。さびしんぼうの市井のなかのポップ感や時をかける少女の想像におけるポップ感に対して、より映画感覚がする。笑えるけれど、不安もまた潜在する。漂う不安感がこの作品を良しとしている。
台風クラブは、ゾンビのようにストーカーするのも不安感というよりも青春の疾走に有るものであり、作品全体をそうしたものが覆う。というか、そうした疾走で形成されている。
家族ゲームは家族ゴッコというより家族マッタリの印象。壊しても崩壊させても、このマッタリは捨てきれないものが日本にはある印象を作品にもつ。それは同時に、狂気を感じさせもする。漂う狂気はそのぬぐい切れない日本の体質感から発せられるかのように感じられる。この作品はBGMはないんだね。音楽のなさが作品への没入を強いさせる。
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