恋するリベラーチェおもしろかった。アメリカンドリームの嘘、キャピタリズム或いはマネーが絡む社会構造が絡むそれは政治や社会において或いはエンターテイメントやカジノなどにおいて表されたりするが、ソダ―バーグがする位置づけはユニークである。彼は等身大のアメリカをまんま表そうと心掛ける。少なくともこの作品でのエンタメ界はそうである(作品によっては、アメリカンらしく陰謀論あるいはアメリカの恥である麻薬などの掘り下げを行ったりする)。クルーニーが出ている作品などは煌びやかさは肯定される。マネーはかの圀アメリカでは自由と切っても切り離されないのだろう。もはや素朴やナイーヴがあれないアメリカである。されど伝統的に、嘘のリークはアメリカ映画の常とう手段、でも政治に関してはキャプラや、もっと前のグリフィスやシュトロハイムによって表されていても、エンタメにおいてはそうでもなかったのではないかな。アルジョンソンもジーンケリーもバックステージもので明るくパフォームしまくって大衆をずっと喜ばしていた。そもそも嘘のリークの常習化はアラウンド70年代(ベトナム戦争やウォーターゲートに絡んだあの頃)ぐらいからだろう。70年代終盤から80年代にかけての、本作で描かれる時代、リベラーチェが奏でる大衆人気音楽からも、シナトラはおろかアステアさえもまだその香りを残していたことが、思い当たるふしに感じられてくる。エンタメ虚構にどっぷりなダグラス、ウィグで禿を隠しプラスティックサージェリーで顔も変えている。アメリカの嘘を地で行く。観ながら、煌びやかを否定せず虚構のあるがままも受け入れるソダ―バーグだから、それでもダグラスによって肉体化されたリベラーチェを擁護するんだろうなと思うも、嫉妬をエナジーに増幅させパワーにし別の生命体に変化することができる女性と違って、男性は嫉妬でメンタル・バランスを不安定にでもってエモーションはヘロヘロになる生き物、それゆえ、虚構に引きずり込まれ顔までプラスティックに変化させられたデイモンに寄り添うのか、となるも、ふたりの間にある愛をソダ―バーグは大切にしている。原題は裏を明かす感じのものだけれど、ソダ―バーグは嘘を糾弾するとかではなく、それそのものが甘美なるアメリカであること、あるがままに表す。ラストのデイモンのうっとりする表情がそのこと語らしおん。
ps
この作品でリベラーチェってヒトを始めて知ったんだけれど、ダグラスはピアノ演奏もふくめ徹底的に彼を体現化していたこと、とても感服する。
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