y●ut●beで僕と彼女とオーソン・ウェルズ観てると、主人公ザックエフロンとエリアカザンの孫娘のシークエンスで、どうして物語をドラマチックにする必要があるの?というとこあるけれど、そこらから日常にある機敏を描きたしはリンクレイターにはあったのかな。もっとも、スラッカーからもずっとそれはあるけれど。とはいえ、作品にはパンチを効かせるものがほとんど必ずあるけれど、作品によっては使い分けはしてるとは思うが、なにもこれといってはない日常に見つけられるものを近作では突き進めているのかな。パンチも過剰なほどはやらないようにしていくのかな。もっとも、これまでも、ジャックブラック主演のですらも、他のハリウッド喜劇に比すれば過剰にはなく、バランスはランディスではなく日常に近いものにはしていたのであるが。ウェアド・ユー・ゴー、バーナデットは彼風に、日常からかけ離れないぐらいの過剰はあるようではある。あと、そうね、ハルアシュビーやボブラフェルソンのあの当時の所作で語らせると違って、リンクレイター流に、みんなよく喋らせている(実際には現実では、皆よく喋ってるとは思う・アメリカ人は特に)。
ソダーバーグがちょっとイマイチだったのは、仲間内ギャグ的な進め方が無駄に思えたからだけではなく、DPである彼のセンスが、そのヒカリ、空虚というか儚いというか、薄い、決して濃くはないのがなにかヴィジュアル的に、生理的に、んー、と思わせられたとこあるのだけれど、それも彼のカラーなのだけれど、観ていると慣れてきたのかな、近作はサスペンス形式が増えているけれど、それは決してエネミー・オブ・アメリカなものなのではなく、トニースコット亡きいま、彼はどうそうしたものを料理しているのかは気になる。サスペンスはずっと彼の領域ではあるが、スコット亡き後にそれを彼流に進化させているのではないか。あと、コッポラ、というよりはゴッドファーザーへのオマージュ的なヒカリ感覚も気になる。まー彼は決してマイケルベイにはなるわけはないとは思う。KIMIは彼流の「裏窓」か? どちらも、ソダーバーグのこれまでと同じで、ゴッドファーザーのいくぶんかけ離れた英雄譚と違って、日常に肌感覚で近いものは表される。コーエンズとは違った意味で。
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