コロンビアで教えているからか、スパイクリーはグリフィス以来のクロスカッティングなど映画メソッドをおきプロットに重きをおいてきている(ドゥザライトシング思い出せば初期からやってるけど)けど、権利問題もちゃんとしなければ生徒に示しがつかないのか、ネット内で映画作品を放置しっぱなしがなかなかないな。そんな観るなら金払って観れといった厳格さに比し、ソダ―バーグとリンクレイターはけっこうあるな。初期のアイデアはやはり後々までソダ―バーグとリンクレイターのテクストにおいてミームとなっているのかな、となる。虚構と現実は多くの作家にとって描かれるものであるが、ソダ―バーグにおいてはセックスと嘘とでの、カメラアイによる虚構とじかに触れる現実の曖昧さはその後にもずっと彼の関心に在るもののように思え、リンクレイターにおいてはスラッカーの哲学問答的に夢と現の地続きは彼のテクストにずっと表されるものであり、作品それぞれにおいてそれが彼ら独特の雰囲気づくりをももたらしている。たぶんネット内でのほったらかしも、曖昧さは現実にあるべきものとして権利うんぬんはアイドントケアしているのかな、と思うのである。【彼らが云々というわけではなく映画会社の問題だから、たぶんそんなのは関係ないかな】
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