そろばんずくのP.S.
広告業界をはじめとしたジャパニーズ・インテリへの揶揄、悶々青春とともに、フォルムを形作るのが、忠臣蔵的義であろう。西洋のものを取入れ洋服もフツーに着て、いったい日本的なものとはなになのか、と私的に悩んでいたけれど、お隣の韓国の映画を観て気付いたのだけれど、韓国映画を観て誰もこれはフランス映画だとは間違わないことである。まず、言語と顔。そのどれもがアジア人の顔である。街並みも家の塀も、日本とも違うものが表される。べつに長鼓舞のシーンをインサートしなくとも、そこが韓国であること間違えることはない。日本も同じであろう。山笠をインサートしなくても日本だということ一目瞭然に判断されるだろう。そして、今ではほとんど消滅している”義”は日本的なもの。しかし森田は、やがて消え去ってゆくものを危惧して表しているわけではなく、映画も含めた日本の多くの物語ストラクチャーが持つものであるから入れているのだろうし、ある種、サラリーマンを描く映画へのオマージュもあるからであろう。すべてにおいてイメージを表すというものに包括される。
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