水俣曼荼羅、ひきこまれた。ケアとかの時間の都合で2部までしか観られなかった。第3部はいつの日か。
水俣曼荼羅。曼荼羅という言葉が、人間模様のことなのか、と第1部を観ながら感じられてくる。阿賀に生きるはその背景となる出来事がずっと見えずようやく見えてくるまで、人がずっと表されていたような記憶があるが、水俣曼荼羅は最初から判決などで問題提起が表されているのだけれど、観ているあいだじゅう、人間模様を見ているかのようになる。切実に感じられるものがある、しかし喜怒哀楽がまじわるまごうことなきものが曼荼羅なのか、とひきよせられる。第2部、最初から生駒さんにあれだけの時間をあてるとしていたのではなく編集段階でそうなったのだろう、そしてその人間味のあからさまさがやはり人の模様に在るものかのように感じられてくる。積み重ねられてきたものがある。それは今も海に沈むように、人の心から離れるものではない。その身体からも、記憶からも。第2部はそうして、権威に対するもの、その疑念的上層が隠蔽する人の本質が浮かんでくる。しかしシステムよりもヒトがずっとそこにいる。ラストの第3部への流れをつくるかのような、つづく的エンディング、残念ながら観れなかったが、想像する。人は支えがあるから生きらえる。そうまごうことなきものが曼荼羅なのか
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