mixiユーザー(id:2566286)

2022年03月13日10:44

70 view

あのこは貴族


あのこは貴族おもしろかった。私をくいとめてを観たあとすぐだからだろうか、客観的に捉える描きが印象に残るが、突き放すでなく、状況や被写体に親密なカメラアイを感じられるものなにか温もりも感じられる。門脇麦と石橋靜河、どっちがあの作品の主役だったっけ、とよくこんがらがって、その存在性が似ているように感じられるけれど、ふたりの競演作あってくれたおかげで区別がはっきりとしてくる。観終わったあと、予告編観て、あの子の後押しがあって、とかいうセリフで、あーなるほどとなる。観ているあいだ、水原希子はいらないのではと思っていた。コントラストとして表されるだけで、どちらかといえば、門脇麦のはなしだけに絞れば、と思ったのだが、そういうことなのか。それなら、ホテルのラウンジではじめて会うシークエンス、門脇が水原の生き方なりになにか強く印象をもつ部分が描かれれば、と思うのである。こちとらは、ふたりの生き方をパラレルに観ていっているから、分からないこともないが、再会したときの、水原の部屋を落ち着きに感じるところが、なんだか腑に落ちないものとなる。汚いトイレの居酒屋にすら初めての経験だった淑女の、同じ男を愛した女性を通しての、庶民性の獲得なのかな。でも、あのカメラアイゆえ、カット割りを多くしたりとか、あまり説明的な取入れを嫌ってあんな感じなのかな。あのこは貴族だということはお互いが思うものだろうけれど、それはパラレルに観ながらふたりを対比させるオーディエンスは理解できるのだろうけれど、別の意味で、流されて生きているふたりはお互いを知ることなしに、そんなこと思えるのかな(水原が松濤に住んでいる淑女としての貴族を門脇に思うのはあるだろうけれど)。ラストは、他人になってやはりよく見える王子様、と女性の勝手にも思えるけれど、自立してはじめて理解できることもある意味であろうが、ともあれ、かつて見た王子様とはまた違って見える感覚の王子様的輝きの映像はなにか印象深いものはある。作品自体は、距離感ありつつも親密なもの表すカメラアイがなにかよかった。

ps
思い出したら、ほんとのところよく分からない、と水原は言っていた、そこがキーなのかも、そうだろう。そしたら、ラストの高良健吾と彼を見る門脇もまた違って、なにか深みが感じられてくる。


1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年03月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

最近の日記

もっと見る