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2021年12月23日12:50

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さよならくちびるとリバーズ・エッジ


ディアハンターとダーティープロジェクターズの最近(でもないけれど)の曲、彼らのくせ者的クセからソフィスティケーションされたかのような聴きやすさ、あのクセが好きなものからすれば物足りないかもしれない(残像は沈殿しているのではあるけれど)。その残滓が上手くモードしているものと共存している、そこが彼らのイマの心地よさか。おしゃれなものを観ようと、さよならくちびるとリバーズ・エッジをレンタル。再見するこれら作品のかつて観てからしばらくぶり、いまもつ印象はおしゃれなもの。泥臭さが演出されていても小松菜奈と門脇麦による、なにか装苑を見ているかのくちびるの印象や、リリーシュシュのようなものかと思ったらフェアリーテイルかのようだったエッジである。されど、塩田明彦的な、或いは行定勲的な、ノワールが残滓としてある。そのくせ者的なクセはやはり消えることなく有る。月光の囁きや害虫、或いは、贅沢な骨や閉じる日のクセは残滓し、されどスッキリしている。さよならくちびる。実在するライブハウスをツアーしてまわるロードムーヴィー、リアリスティックに表されながらも、予算が大きい商業映画よりもシネフィルぶりを発揮しやすいのだろう、レコード屋での声を出さずのゲシュタルト演出はとても映画的、そして車内の向こうに表されるバックプロジェクションも盟友黒沢清と同じようにとても映画的なセンス。ひとりと話し、そして彼女が退場したあとにもうひとりが登場、演劇的というか文学的というか、リアルに見せながらまったく自然ではない。主役三人のプロモーションヴィデオかと思えるようなおしゃれを放つ。塩田は包帯、眼帯、絆創膏、と表してきたけど、この作品においても、いつものように痛みを表す。しかし、その傷跡も、すぐにスッキリ、跡形もなく消え去る。いつものように、最後まで引きずる痛みはない。どんよりしていないのはたぶん、彼のファンからすればサティスファクションしないかもしれない。されど、時にはスッキリもよい。最初に観たとき、あのエンディング、なにこれ?と思ったけれど、今回は、ライブハウスには解散を告げない成田凌に信じて疑わないものが表されていたのかな、となる。彼が言うように、音楽は後悔しないもの、と彼自身も含めて三人に告げたかった旅があるのかな。初回はなにこれ?と思ったラストも、シネフィルぶりになにか、3,40年代のハリウッドのウェルメイドコメディのサッとすっきりさせるエンディング付近を彷彿とさせ、それはそれでウェルメイドである。よく見ると自然からかけ離れているけれど、それでも、三人のアクターが説得力をもたせるもの、まさにリアルを感じさせる。リバーズ・エッジ、観ながら思い出すのは、おしゃれを観たいと思ったのは、装苑でスミレを見たからなんだな。変わらない日常に生き無関心になっている二階堂に、彼女のバックグラウンドが明かされない分、そこに生きているという説得力がない。変わらない日常でありながらも、あることなすこと、ジェットコースター・ムーヴィーのように最初から滑走しまくる。80年代のメッセがいまでもワークするのか疑問であるが、シアターの外で変わらない日常を歩むオーディエンスがシアターでジェットコースター・ムーヴすることが、この作品の引き込み方か。当時と今はいっしょか?とはいえ、おもしろかった。二階堂は吉沢亮を見てハッとする。頭蓋骨を見て哀しみの表情をし、ドラマが動き出す。彼女のその二つの表情はもしかしたら、スミレが後で吐くと言うときに見せる彼女の表情と同じものなのかもしれない、と、ふたつの表情が表されただいぶ後に出てくる、二階堂が見せるそのシーンで思ってしまった。主人公よろしく、二階堂は出来事たちと出会っていく。体験していく。彼女もふくめて(というより、アマング・キャラクターズで、彼女が実はその最たるものかもしれない)すぐ傍のヒトのことを気付いていない、というより、無関心でいる人々。出会っていきながらもプラスティックであり続ける。行定は彼のテクスト、常になるせなくだらしない関係性を描いているのか。成瀬や神代からかっちり継承されてきている日本映画の伝統か。インタビュー形式での告白で、人々の本音は明かされる。これがなければ、本音を見せることができない人々の右往左往だけに見えてしまう。キレイなものだけを見ていたい森川葵、初回のときはアホと思ったけれど、今回はネヴァートゥダイでの彼女の初々しさと出会った後だからか、カワイイやオシャレだけを見ていたいヒトがあーなるのは悲しくなるのであった。夢見る少女のままでもいいのではないか。彼女のあーなった姿を見るときの吉沢亮の驚きと哀しみから喜びに変わる表情、ようやく彼女は彼の友だちになることができたのか。ハンドヘルドと悲しい驚きでゲロも吐き出しかねないリリーシュシュに比して、落ち着いたカメラワークとまるで装苑から抜け出したような落ち着いたカラフルな世界、都会のフェアリーテールとして機能している。十人十色に捉えられるのが映画であっても、二階堂のプラスティックなセンス、ラストに吉沢に見せる表情、希望か漂流か、ほんとに見手によって幾通りにも捉えられるであろう。結論。ちょっとCawaiiすぎるけれど、この時代にあった表現なのかもしれないな。皆は痛みを知っている。


クセは薄まったけれど、なにかまたときどき観たくなるであろう2作品となるだろう。完。


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