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2018年06月30日14:55

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カフェ・ソサエティ

ウディ・アレンはシネマフェチの域を超え、ゴダールとはまた別の域で、映画というものを”知っている”。苦みがあるからこそ、想像が人生にロマンを与えてくれる。

ふたりのヴェロニカとアパ鍵がモティーフの一部にされながら、ニューイヤーのパーティーにシャーリー・マクレーンと同じようにヴォニーの想いはボビーに、ディゾールーブするなかで届きふたりは重なるも、今を生きるふたりは現実を受け入れざるえないちょっぴりビターな幕切れ、素敵だった。結局はふたりで住むことはなかったニューヨークで、ボビーとヴォニーは束の間の遊戯を満喫する。やっと作ってあげられ食べられるスパゲッティミートボールも、思いっきり愉しむブルックリンでのクラップゲームも、束の間の遊戯。そして、束の間の遊戯だからこそ、ロマンがあるのである。映画の時間もまた、同じようにロマンを届けてくれる。映画とは現実とあまりにも似て、それとは違う束の間のファンタジー。アレンはそのことをカイロの紫のバラも含めたテクストでいつも表しているけれど、この作品でのエクリチュールはさらにビターな憂いをもって表しおん。『カフェ・ソサエティ』、ロマンを届けてくれる作品である。


この作品の映像とても素敵である。アレンはそもそもから絵にはこだわるヒトなのであり、ゴードン・ウィリスの映像によりアメリカ映画でのアレンの位置づけを固め、その後のカルロ・ディ・パルマやスヴェン・ニクヴィストの起用はアントニオーニやベルイマンへのオマージュも重ね合わせられ、他の作家には真似しようにも真似られない固有性をもたせていったわけである(註1)が、彼らと離れたあとアレンは彼の独自性を自由に遺憾なく発揮させていくとき、絵はさらに輝きをましてゆく。アレンはDawnや逢魔時といった瞬く間に表される”とき”を以前より以上に一枚の絵- ショット -として捉えようとしている。『マンハッタン』の朝焼けを歩くアイザックとメリーの頃よりも、アレンはモメントをとても大事にしている。そしてその想いは、一枚一枚の絵として輝きを人生に秘めさせている。アレンが現在に思うものをちゃんと秘めて生んでいる作品が『カフェ・ソサエティ』なのであり、この熟成は彼の映画作家としての輝きを失わせないばかりでなく、映画というものが何かも語らしめてもいるのである。




註1  アントニオーニ風にやベルイマン風に自身の作品を表してみたいと願う作家は沢山いても、アントニオーニとカラーの時代に多くの作品を共働したディ・パルマやベルイマンのストイックな魂を厳格に描きえたニクヴィストは具体的に実際に共にその場で絵を描いたのであるから、他のどのDPも監督もアレンとディ・パルマ、或いはニクヴィストとの共働関係にかなうわけがないのである。
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