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2018年06月01日13:41

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イヤー・オブ・ザ・ドラゴン




もののあわれ的に拉致問題フェイドアウトすることなかれ、恨的に家族の反分子を吊るし上げることなかれ、同族とか民族とかではなく、家族が社会学のキーワードではないか、と、イズムよりカゾクを優先するもの納得できる。ここ2ディケードの社会学のキーワードはポストコロニアリズムとかディアスポラとかサイゼリアとか、90年代までだったら言葉遊びでゲーム的に語れたものも今や、切実となった今は、等身大で語らなければならないものが数多くあり、造語で演繹的に一言から出発も要約もできないものばかりなのでは、と、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』観ながら思うも、あまりのカット割りの凡庸で眠くなり、それにチミノを知るにはやはり『天国の門』を(それより先に、これも血という絆の「家族」(「言葉」を捏造してしまったがホントは同族や民族といった意味である)描いた『ディア・ハンター』を先か)を先に観て、その次にこれかな、と途中でやめる。アイデンティティや民族性は80年代と90年代とやたらと使われイシューされ、ありきたりとなってしまったが、ありきたりと思えど、チミノの指向性は今だからこそ現代的にも思える。殿々と言いながら家来が支えながら己れを支えるアベ的國も、うまく政権交代しながら民族性をイズムと絡ませながらプーチンする國も、イズムを先送りするセンスでも拝金主義を避けられないであろう中國も、周りを血みどろにさせながら公約通りにお伺いしながらmannsinnするマチョイズムの米國も「家族」なのか。「家族」も偶然という現実界とぶち当たるとき木っ端微塵のはずである。内向きのナショナリズムとも一線を画すると、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』観ながら思いウトウトしてしまう。改めて観なければと思った。




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