例えは古いが(或いは、現代映画と距離がありすぎるだろうか)、『禁じられた遊び』の恐怖感が教訓話としてあるのに比し、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の恐怖感はより近いものとして表される。それはシネマヴェリテによって成されるからだけなのではなく、”アメリカ”のシステムが現前することによってもなされる。アメリカ批判、というでなく、人間関係の表象が凝縮されたものへのアプローチに表される”アメリカ”である。
フォントリアーの『ヨーロッパ』はヨーロッパという概念や歴史に向けたものであるという以上に、アメリカ人である主人公にあらわされる”アメリカ”がイシューとして表されているのではないか。たぶん現在においても行ったことがないであろうフォントリアー自身がイメージする(そしてアメリカで育ったことのない人々がイメージする)普遍性としてのアメリカが、彼のアメリカを舞台にした作品には在るように思える。
『イディオッツ』は未見だけれど、フォントリアーは世間で言うほど皮肉屋には思えない。リンチにも通じる素直さを感じる。黄金の心の三部作(あともうひとつはなにか分からないけれど)、どちらの作品も主人公のココロ、心に響いてくる。
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