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2016年10月13日21:21

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本●「幕末単身赴任 下級武士の食日記」

本●「幕末単身赴任 下級武士の食日記」(ちくま文庫)
青木直巳:著

読了。

桜田門外の変があった万延元年(1860年)に、紀州和歌山藩の28歳になる下級武士・酒井伴四郎が江戸藩邸に詰めることになった。
時代は幕末、なにかと世情が騒がしい中で、伴四郎は花のお江戸暮らしを満喫する。
伴四郎は、1年余りの江戸での生活を、ことこまやかに日記につけていた。
その日記から主に「食」にまつわる記述を現代文で再構成した1冊。

参詣や名所巡りといった物見遊山のついでの食べ歩きから、下級武士たちが共同で暮らす藩邸長屋での自炊生活など、当時の食材や料理法、さらにはその値段までが目の前に浮かび上がる。

下級とはいえ、武士なので懐具合が庶民より豊かなのかもしれないが、まあ、よく食べ、よく呑むこと。
たとえば、夏の晴天で大暑の日、伴四郎は現在の赤坂あたりにある藩邸から、叔父や仲間たちと連れだって浅草にやってきた。
まず上野近くで餅を食べ、浅草で蕎麦を食べ、観音様に参詣後はお化けの見世物を楽しみ、夕立にでくわしたので雨宿りのつもりで入った店で、穴子、里芋、たこの甘煮を肴にお酒を呑んでから飯をくらう。さらに吉原見物としゃれこみ、生まれて初めて花魁道中を見た。吉原でスイカを一切れ。それから両国に回って、相撲やいかがわしい見世物を見たとある。

よく食べ、よく呑むだけでなく、よく歩くこと。
読み終わって、そうか、この時代はバスや地下鉄がないのだから、どこへ行くにも自分で歩くしかなかったことに気づく。
きっと、誰もがふつうに生活していれば、万歩計をつけなくても1万歩ぐらいは歩いていたのだろう。
腹も減るはず。

鷲(おおとり)神社の酉の市の光景が出てきた。
つま先立ちする余裕もないほどに、ものすごい数の群衆が押し合いへし合いしていたとある。
酉の市は、東京にいたころ一度だけ見たことがある。
ものすごい人出に私も驚いたことを思い出した。



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