『カラー・パープル』
フォードが表わすもの、すなわち過去の憧憬を見つめていた人々がやがて未来への眼差しへと転じること、そしてキャプラが表わすもの、すなわち未来ばかりを見つめていた主人公が過去にある身近にあるものを見つめだすこと、それらの交わり、或いは、スペクタクルなおおらかさというスピルバーグらしさはある。それでも、それまでの彼のテクストとは少々違ったものが表わされる。
エスタブリッシュシークエンスからビザールなインモラルなアメリカが表わされる。それでもそれは、スピルバーグが常に表わすように、父性社会における愛の不在がそこに表わされている。自由(=愛)がないアメリカが表わされる。ソフィアが虐待されるシーンにより、それは明らかになる。そのトポス、ファーザー(神父)がシャグに愛を注がないアメリカ社会として集約される。
エスタブリッシュシークエンスから紫の野原=カラーパープルが表わされる。弱き者たちによって結ばれる愛はヒューマニティを導く。
過去への憧憬と未来への眼差しの交わりが、父性の愛が不在する社会で表わされる愛として描かれる。それは身近にありながら遠くにあるものである。ネティの手紙が届くはずのポストに、シャグのセリーに向けた愛に、そしてシャグが見付ける手紙に表わされる。ヒューマニティという交わりは、神(父性)もまた愛されたいことも照らし出す。ミスターや神父の、父性の回復=真人間になることが表わされる。ラスト、紫の野原で姉妹と、ファーザーズは結びつきをもつことができる。
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