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2016年01月09日22:05

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映画日記 『砂糖菓子が壊れるとき』 『処女が見た』

年末からシネマスコーレで若尾文子特集の第2弾が始まっている。
なかなかタイミングが合わなかったが、ようやく見に行くことができた。

2016年1月9日(土)

『砂糖菓子が壊れるとき』(1967年)
今井正:監督
駅西・シネマスコーレ

現在は右派の論客のひとりとなってしまった曾野綾子が原作を提供し、左派というよりハッキリ言って共産党シンパだった今井正が監督したバックステージもの。
今なら考えられない組み合わせだ。
時代が違うといえばそれまでだが、古い映画を見てると、よくこういう組み合わせに出くわすことがある。
たとえば1950年代の石原慎太郎は、大江健三郎らとつるんでいたリベラル派だった。
彼が脚本を担当し、弟の石原裕次郎が主演した『俺は待ってるぜ』を監督した蔵原惟繕の叔父は元共産党中央委員だった文芸評論家の蔵原惟人だ。
石原裕次郎が心酔した俳優のひとりに宇野重吉がいる。彼も共産党シンパのひとりだった。息子の寺尾聰は一時期、石原プロに所属していた。
という具合に、昔の映画はかなり政治と密接に結びついていた。
実は、今もって良く分からないのが、深作欣二。
彼の代表作のひとつである『軍旗はためく下に』を製作した新星映画社というのは、共産党系だったのでないか。
左派系映画やその人脈の源流をたどれば、戦前のプロレタリア文化や傾向映画にたどりつくはず。
そうなると私の知識ではお手上げになってしまう。

閑話休題。
若尾文子扮する女優のモデルは、マリリン・モンローだった。
増村保造作品とはうってかわって、最期まで煮え切らない女という描き方だった。
これは『婉という女』という力強い女性像を描きだした今井正の監督作品としても意外だった。
とっかえひっかえ、高価な衣装を身にまといながらも、『砂糖菓子が壊れるとき』の若尾文子の精彩のなさは、いかがなものか。

女優・若尾文子と映画監督・今井正の代表作に『砂糖菓子が壊れるとき』の名が登場しない理由がよく分かった。

珍品を見たというマニア的な面白さはあるのだが、映画としてはダメだ。


『処女が見た』(1966年)
三隅研次:監督
駅西・シネマスコーレ

『砂糖菓子が壊れるとき』の製作は永田雅一だった。
大映のワンマン社長だった永田雅一が名を連ねるのは、A級作品の位置づけだ。
それなりの金と時間とスタッフが用意したのが、結果は見るも無残だった。

いっぽう、『処女が見た』はB級の快作だった。

伊勢湾台風で両親を失ったという不幸な生い立ちを背負った京都のズベ公・和恵(安田道代=大楠道代)は、引き取られた叔父夫婦から厄介者扱いとなり、ついには尼寺の西入庵へと預けられてしまう。
西入庵の庵主である智英尼(若尾文子)は、ときに厳しく、ときに優しく和恵と接した。
そんな智英尼に、いつしか和恵は信頼や尊敬の念とは異なる感情を抱くことになる。
しかし、ふたりの幸せな時間は長くは続かなかった。
西入庵の本家にあたる寺の住職が急死したため、新しい住職がやってきた。
見るからに生臭坊主の行俊(城健三郎=若山富三郎)は、すぐさま智英尼をモノにしてしまう。
そして、智英尼と行俊の関係を知った和恵は・・・・・

若尾文子と安田道代によるレズビアンメロドラマ。
『卍』という、そのものズバリのレズビアン映画で、若尾文子は岸田今日子と愛し合う。
本作の相手は、当時デビュー3年目の、まだ初々しい安田道代だ。
映画という虚構の中とはいえ、男性だけでなく女性をも虜にする役を演じてしまう若尾文子は、やっぱり凄い!!!

城健三郎が演じる生臭坊主の行俊が、若尾文子の智英尼に向かって、
「・・・きれいごとでなく、とことん堕ちた極道を知らなければ、ほんとうに仏の道に仕えることは出来ない・・・」といった意味のセリフを吐くシーンがあった。
このとき、城健三郎はのちに若山富三郎となって、その名も『極道』というタイトルの人気シリーズで主演を張ることになろうとは、仏様でも知ることは出来なかったろう。

増村保造監督との黄金コンビによる『清作の妻』や『妻は告白する』といった代表作以外に、若尾文子は数多くのプログラム・ピクチャーに出演している。
『処女が見た』も、そんな作品のひとつだ。
無冠の鬼才・三隅研次による細やかな演出が光る、若尾文子の隠れた佳作。
尼僧姿を横からアップで撮ったカットの若尾文子が、とてもきれいだった。



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