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2023年02月24日22:29

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諏訪敦展/府中市美術館

2/22(水)、諏訪敦展を観るため府中市へ。
展覧会の正式タイトルは「諏訪敦 眼窩裏の火事」。その意味は、展示作品を辿る事で分かる。
フォト

・会期 2022年12/17〜23年2/26
・会場 府中市美術館

諏訪敦(1967- )の作品をまとめてみる事ができたのは2008年2月、佐藤美術館だった。以下レポート参。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=726368490&owner_id=3341406

55点が出品された今回の展覧会は3つの章で構成されている。
・第1章「棄民」
・第2章「静物画について」
・第3章「わたしたちはふたたびであう」

「写実」とは「実在する対象を、眼に映るとおりに写す」と言い換える事ができる。
諏訪敦というと、日本の写実絵画のトップランナーと見られてきたが、これは相当に実体と異なる。彼は見えないものをこそ描こうとしてきた。

◆第1章「棄民」

諏訪は、1996年、脳腫瘍で倒れ、管につながれて病床に横たわる父を、感情を抑え精密に描いた。その3年後、父は亡くなる。
父の遺した手記から、諏訪は家族の来歴を初めて知った。
幼い父は、太平洋戦争が終わる直前の1945年春、祖父母(敦の父の両親)ら家族と伴に満州に渡った。国策に従って渡満した人々は、謂わば国の都合によって捨てられた民「棄民」である。(*)
同年8月、ソ連の侵攻に追われ、家族はハルビンの難民施設に収容される。同年冬、祖母と叔父そのは収容所で死ぬ。栄養失調と発疹チフスが死因だった。
諏訪はこれを知り、資料を収集し証言を聴いて、その実態を調査する。2012年と2015年には大陸に渡り、旧満州を訪れた。
諏訪はこうして知り得た事を基に、幼かった父が見たであろう光景の絵画化を試みる。

(*)「棄民」という言葉は、新型コロナ禍でも使われた。「コロナ難民」という言葉もあった。数はあるのに重篤な状態になっても受け入れてくれる病院がない、そんな人々を、国の愚策によって捨てられた民だと。

《棄民》2011-13/個人蔵
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幼い父を膝に抱いている祖母の顔は、皮膚が剥がれ落ちて骨が見えている。
父は眼の部分の絵具が掻きとられ、感情を失っているように見える。

《HARBIN 1945 WINTER》2015-16/広島市現代美術館
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満州の広い凍原の中央に仰向きに倒れている裸の死体は、祖母だろう。
全身の肉が落ち、1枚の皮膚をまとっただけの骨。春が来て気温が上がれば腐っていくであろう、その直前の姿だ。
諏訪はこの絵に辿り着く前、同じカンバスに、まだ肉がついて美しさを留めた死体から描き始め、次第に肉を落とし、骨を露わにしていった。恐らく7〜8枚を費やして、現在見る事ができる最後の作品にした。
この一連の作品の背景に中世の「九相図」が存在するのは間違いない。
絵の具の層の下に隠れている死体の推移はもはや見る事ができないが、会場では、その工程を記録した写真データをつなげてプロジェクターに映し出している。

◆第2章「静物画について」

作品の殆どが人物画であった諏訪。
人物画は、身内をモチーフにした特別の作品以外、一般的に注文に応じるケースが殆どである。
だが、新型コロナの感染蔓延はそれに大きな影響を与えた。
まず、描く対象に会う事が思うようにはいかない。また、モデルに対する取材・調査を重ねる諏訪の手法にも大きな支障が出た。
諏訪は静物画の歴史、図像の意味、造形の特質等を改めて研究・再解釈をしながら取り組む事となった。

《不在》2015/個人蔵
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これは新型コロナの流行以前からの取り組みである。
幕末期から明治初期にかけて活躍した、洋画の先駆者 高橋由一の静物画に《豆腐》(1876-77)という作品がある。しかし、その後の日本の近代洋画は、西洋絵画の歴史や伝統への理解を深めず、印象派(日本では外光派と呼ばれた)の流行に押し流されていく。
そうした動向への諏訪の主張が籠められている。

《Chromatophore》2020-22/作家蔵
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17世紀以降のスペインでは、様々な食材や料理を載せた食卓を描く「ボデゴン」という静物画が流行した。
この作品では、それを念頭に、イカやガラス器等、透明度の異なるモチーフを組み合わせた。

《目の中の火事》2020/東屋
東屋は工芸品の企画・製造・販売を手掛ける企業。諏訪は東屋から、製造時代・場所の異なるガラス器を描き分ける注文を受ける。
17-18世紀のガラスはやや色が濃く、重い感じもする。

そのテーマとは離れ、この絵には、ガラス器の手前に特徴のある光が描き込まれている。揺らめきがあって陽炎のようにも見える。
これは諏訪の眼に発生した「閃輝暗点(せんきあんてん)」という病気である。モチーフやカンバスを凝視・熟視する行為は長時間に亘ると眼の酷使となり、血流異常を起こすらしい。諏訪らしい病ではある。
現実には存在しない現象だが、諏訪にとっては大変にリアルなものであって、彼はそれもカンバスに写しとる試みをした。

《眼窩裏(がんかうら)の火事》2020-22/作家蔵
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これが上の作品の続編。本展のタイトルとなった。

◆第3章「わたしたちはふたたびであう」

諏訪の制作には長大な時間を必要とする。
それは細密描画が時間がかかるというだけでなく、取材・調査を含め、謂わば視覚と認識を深めるため欠くべからざる行程なのである。
冒頭に掲げたリンクに、諏訪がどのようにして舞踊家 大野一雄を描いたのかレポートしているので、お読み頂けたら幸いだ。

諏訪が最初に大野に取材申し込みをした1999年、大野は90歳を越えていた。
《大野一雄立像》1999、2022/作家蔵
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そして、諏訪は2006年に再度取材に訪れた。100歳を越えた大野は自宅で寝たきりになっていた。2008年、自由の利かなくなった大野を露わに描いた。
《大野一雄》2008/佐藤美術館寄託
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2010年、老舞踊家は静かに亡くなった。
諏訪の大野のテーマはこれで終わりかと思われたが、そこに川口隆夫(1962- )というパフォーマーが現れた。彼は大野に触発され、大野の身体表現を完全にコピーする取り組みを行っている。
本展のポスターに使われたのが川口をモデルにした《Mimesis》(2022)である。
大野は元々スペインの舞踊家ラ・アルヘンチーナに感銘して舞踊を始めた。その大野に触発されて川口は彼の身体表現をミメーシス(模倣)しようとしている。
《Mimesis》には、目の前の川口だけでなく、時間と場所を超越したものが描きだされている。
諏訪の仕事は直接の対象者が亡くなっても終わらないのである。


〈参考資料〉
書籍
「芸術新潮」2023年2月号
『諏訪敦 死者たちの声を描く』
 対談 諏訪敦×山本聡美
 発行 2023年2/25

WEB
「諏訪敦 眼窩裏の火事」展覧会特設サイト
 

常設展「みること・つくること・さわること」
    牛島憲之名作展
・会期 1/31〜2/26
 
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