2/24(日)、予定通り上京。
千駄ヶ谷で総武線を降り、国立競技場周りを吹き抜ける風の強さにたじろぎつつ、佐藤美術館を目指す。
「諏訪敦絵画作品展」、当日が最終日である。
副題には『複眼リアリスト』と。
昨今、写実描写系の画家は意外に多いが、諏訪のそれがどこから来ているのか、確かめたかったという思い。一体“複眼”とは何か。
悩みもなく単に描写技術が卓越している事、それは写真とのせめぎ合いの問題をわざわざ引く迄もなく、あまり意味もないだろう。
舞踏家、大野一雄を描くに当たり、諏訪は、1999年、1年間大野を取材する。スケッチの鉛筆を持つ前に、彼の郷里、函館に行き、今は地番の亡くなった出生地を探し出すところから始めた。
大野についてここで多くを書く訳にいかないが、現代の舞踏を、モダンダンスという使い古された言葉から、内面的な問題を扱う身体表現とでも言うべき世界に転換を果たしていった、世界に誇る日本人舞踏家である。
この取材時、大野93歳。彼の肉体が発する力を視覚的興味だけでなく、背後にある個人史や考えにも関心を拡げ、情報を複眼的に取り込み、コミュニケーションの過程迄をも表出するといった新たなリアリスムのスタイルを、諏訪は模索していく。
写真1.を観て欲しい。『大野一雄の幻視』。
大野の老いた肉体は、言葉や観念を通過したその向こうの肉体として、重力を失って宙空に”横に立つ”。下の木の板は棺の蓋のようにも見える。
7年後の2006年末、100歳を迎え、ベッドに昏々と眠る舞踏家を、もう一度諏訪は描く。手の深い皺は既にベッドのシーツの皺と一体化している。開け放たれた口は黒々とした暗闇を呑み、死を迎える身体表現の今わの続きを見るような気もする。
“幻視”とは、生の中に死を見る事だ。
遡る1996年、諏訪は、脳腫瘍の摘出手術を受け、ベッドに横たわり、何本もの管に括り付けられた父を描いている。その絵の隣には、脱脂綿を鼻に詰めた死せる父の顔のスケッチも置かれている。タイトル『 father 』。
この絵の延長に『大野一雄の幻視』があるのは想像に難くない。
そして更に写真2.の『 NIRVANA 』(2003)。東京タワーが横たわり、朽ちていく。本人によれば、「これは建物涅槃図です」。
彼は10代の頃、コミュニケーションが苦手という事で悩んだようだ。
極論だけれども、生物を絵にするという事は、その歴史を含めて”動かぬもの”にする行為でもあるだろう。動かぬものの終着駅は”物体”であり、”死”でもある。
『 thread 』という、驚くべき絵がある。美しい女性の裸体 (諏訪だから当然細密) 画だが、その腹部には、横に大きく深々とした傷跡がある。おそらく何らかの手術痕だと思われる。傷痕は、そのひとりの人物の人間史として、生きた証として、消す事のできないものに違いない。ただ眺めて美しいものを絵に残そうというつもりは諏訪にはないのだろう。
その傷跡が彼女のひとつの要素であり、それを絵に固着させるのが私である、これが諏訪のアイデンティティなのではないか。ここに、唇の上だけに留まらない、痛みの伴う新たなコミュニケーションが成立する可能性はある。
一見ただ美しい裸婦図のようにも見える『 SLEEPERS 』シリーズ(2003)、最新の『 Stereotype 』シリーズ(2007〜)。
ここから写真3.をピックアップしておこう。前者から『水の記憶』。
水面で何かに凭れ、半ば漂いつつ眠る女性。
写真のようにも見紛うこの絵から、あなたは何を感じ取られるでしょうか。私はまだ整理がつかないのですが・・・
24日のプログラムの続きは、また明日にでも。
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