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2021年04月07日13:00

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「みほとけのキセキ」〜遠州・三河の寺宝展 (その3)

(続き)

◆都から地方へ、仏教文化の伝播

・三河・遠州、殊に浜名湖北岸地域に集中した理由〜浜名湖と豊川

本展に出品された仏像を所蔵する寺院は、多くが浜名湖北岸に分布している。
その要因の1つには、この辺りに深い山地があり、密教系の寺院が多く建てられた事がある。たくさんの木材も産出された。
また、古代の三河・遠江国境近辺の交通事情が関係しているとも考えられる。

京都から下ると、三河国府で東海道から分かれ、豊川上流で川を渡って東進、国境の本坂峠を越えて三ケ日へ至るルートが、人的にも物的にも盛んになった。
それは、古い時代の浜名湖が現在よりも北に位置していて、太平洋へは浜名川でつながっていた事が関係する。
浜名川には浜名橋がかかっていたが、この橋は170mもの長さがあり、流れが急だったためよく崩壊した。そのため、浜名湖の南側を通るルートは人々に避けられる事が多かった。

更に、三河から遠江へと進む際 豊川を渡らなければならないが、この下流は川幅が広く、湿地帯となっていて、難所だった。
そこで、豊川は、古くから上流部で渡るルートが開発されていた。
豊川の上流を渡ると、そのまま東進すれば本坂峠に至り、そして浜名湖北岸へと抜ける。いわゆる「姫街道」ルートである。

こうした二重の事情で、人も物も浜名湖北岸を通るケースが増え、仏教文化の伝播も同様のルートを辿ったであろう。

「姫街道」ルートは、浜名湖北岸を越えて更に東へ進むと、天竜川の手前で東海道と合流する。天竜川を挟む地域には、藤原氏由来の荘園(市野他)、定額寺(頭陀寺)、国分寺(磐田)等があって、古くから京とのつながりが濃い場所だった。
遠江に京の宗教文化・美術が落とされて、多くの寺院が繫栄し仏像が作られたのも、そうした背景があったのである。

◆本展の陳列の特徴

本展の陳列は、ガラスケース中に収めない、単独の露出展示になっているものが多い。そのため、仏像の周囲を360°ぐるりと回って鑑賞する事ができる。
様々な角度から観ると、その仏像に対する理解はより一層膨らむだろう。
今回は台座・後背の類は美術館に持ってきていないものが多い。
台座・後背は後の時代に補われている例が多いから、これも1つの割り切り方である。
台座・後背を含めた仏の全体像は、やはり寺院の環境の中で味わうのがいいだろう。

尚、展示品は全点写真撮影可となっている。


さて、今頃思い出すのもナンだが、私は今年の初詣として、1/14に摩訶耶寺その他を訪ねたのだった。
以下参考迄。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978287556&owner_id=3341406

摩訶耶寺が所蔵する仏像は申し込めば観覧可能、と本堂前に立て札があった。しかし、当日はベルを鳴らしても誰も出てこず、諦めて本堂の外と庭園回りだけ見て帰ったのだが、考えてみれば、千手観音立像は修復のために京都に行っていたか、または、美術館へ持ち出すための準備をしていたかだったのだろう。
改めて摩訶耶寺のホームページを見ると、「当寺に戻るのは令和3年5月上旬を予定しています」とある。
またいつか訪問し、本堂内において、その環境と雰囲気の中、千手観音や不動明王等をゆっくり鑑賞してみたいと思う。


〈参考資料〉
・図録『みほとけのキセキ〜遠州・三河の寺宝展』
 執筆 島田直弥 他
 発行 2021年3/25「みほとけ展実行委員会2021」(浜松市・中日新聞東海本社・テレビ静岡)
・『仏像の基本』
 編集 山本道生
 発行 2011年12月�判佝納�

(終わり)
 
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