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2025年09月10日12:27

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件の阿弥陀如来は何処におわしたか?

「8月の"観た聴いた読んだ"と、その他備忘録」(2025.9.1記)、その【美術・展覧会】の項で、「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」において行われた「木造阿弥陀如来坐像 保存修理報告展」について少しばかり書いた。

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〈参〉
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990628838&owner_id=3341406

浜松市の有形文化財に指定されているその阿弥陀如来坐像が何処にあったか、それについては展覧会で明記されていなかった。
私のレポートでは「浜松市浜名区細江町岩根の自在寺阿弥陀堂にあった」としているが、それは、「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」の係員に尋ねて知ったのである。

そこで、今回、その場所に行ってみる事とした。
ネットでチェックすると、実は、昨日の日記に掲示した新しい洋菓子屋「月暈(つきがさ)」からすぐ近くにあるのが分かったからである。

9/7(日)、「月暈」でお菓子を買ったあと、奥浜名湖沿いの国道362号線を西に進んですぐ右へ折れ、天竜浜名湖線の踏切を渡る。旧村の家並みを通り抜けて北上すると、じき山裾にぶつかってこれ以上は車で進めない。
道端に停車して歩けば説明板が見え、そこから山道を上る。

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これによると、安土桃山時代の天正年間(1573-93)から宝積山自在寺(ほうしゃくざんじざいじ)がここにあった由。
寺は衰退。江戸時代に入って1667(寛文7)年、気賀(きが)近藤家の主 近藤用治(もちはる)によって阿弥陀如来座像が造られ、1672(寛文13)年には、それを納める阿弥陀堂も再建された。
そして、翌年、寺は独湛禅師(どくたんぜんじ)により黄檗宗に改宗、中興された。

独湛は、江戸時代初期1654(承応3)年に明から渡来した隠元が連れてきた弟子の1人。
〈参〉
「浜松にもたらされた黄檗文化展/浜松市博物館」(2014.11.9記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1934930630&owner_id=3341406

我が家のある北部遠州には、独湛に関係する寺がいくつもある。
独湛は1664(寛文4)年、気賀の東に隣接する金指(かなさし)の旗本 近藤貞用(さだもち)に招かれ、黄檗宗の初山宝林寺(しょさんほうりんじ)を建てた。
独湛は宝林寺を建てる際、金指の実相寺(じっそうじ)に住んだ。
他に独湛の弟子が建立した寺として、「身代わり不動」として親しまれる不動寺がある。
何れの寺も日記でしばしば採りあげている。

近藤家は北遠において5つの家筋に分かれた。気賀・近藤家の用治は金指・近藤家の貞用と、祖父(秀用)を同じくする。

看板の脇の石段を上がっていくと、荒れ果てた小さな堂が見えてきて、これが件の阿弥陀堂だと知れた。
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台風か落雷か、原因は想像がつかないが、ひどい荒れようだ。
近寄ると、堂の壁はトタンらしいので、日本での普及を考えると、20世紀になってから建て替え、または改修されたものだろう。
桟瓦葺きには菊の紋が見え、入母屋の合わせ目の懸魚(げぎょ)が蕪(かぶら)型だという事くらいは分かる。
この中にあの阿弥陀如来坐像は納められていたのだ。
仏像は修復する価値のあるものだったが、堂はその価値がない、そう市は判断したのだろう。
今後、像はあの資料館または博物館の最善の環境下で保存される事になる。

堂の脇には、小さな祠があり、石仏がその内外に点在した。
祠の格子の隙間から撮影できたのは、形態からして如意輪観音菩薩像か。
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蓮華座上に右の立て膝。
六臂のうち左手に蓮の蕾、もう1本の左掌の上に微かな法輪、右手は頬に当てて思索を表し、見えにくいが、もう1本、胸の前の右掌に宝珠、などが根拠となる。

下の石像は、光背に延命地蔵尊と彫られている。
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裏山の一角には小さな墓地もあった。古いものだけでなく新しい墓石もあるので、阿弥陀堂は壊れても、お参りにくる人はいるに違いない。
刻まれた名は殆どが鶴見か金子。
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下は歴代の寺の住職の墓か。
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真ん中の墓の形が面白いのでアップで撮っておいた。コケのせいで法名はよく見えないが、裏面などで時代くらいは確認しておけば良かった。
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阿弥陀堂は、自在寺が境内に持っていた一宇だった筈だが、見渡してもその自在寺らしき建造物跡は見当たらない。
説明板には、近藤用治が阿弥陀堂を再建した翌年、独湛が中興し黄檗宗に改宗したとあるから、それが本当ならば、その頃自在寺はまだあったという事になる。
安土桃山時代からの歴史を持つ宝積山自在寺というのはどんな規模でどんな寺だったのだろうか? 今回の訪問では情報は得られなかった。

すさんだ阿弥陀堂の現在の姿が瞼の裏に残り、帰りの車中では、何やら世の哀れが胸に去来した。


〈付記〉
説明板の最後に「この像の胎内には、用治の日課念仏や法華経が納められています。また地元では、安産の仏様としても信仰されています」とあった。
「木造阿弥陀如来坐像 保存修理報告展」では、像の解体・修理の詳細がパネルで掲示されていたが、胎内から何か発見されたという事は一切触れていなかった。
また「安産」信仰の対象とされた所以や、像の宗教的性格についても、説明はなかった。
冒頭のリンクからご確認頂きたい。
 
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