《三陸8》承前
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陸前高田から投宿地・気仙沼。
『けあらし』
3.11震災遺構巡り、最終日
あの時は海一面が炎に包まれた地獄絵図だった。
《気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)》
朝ドラ『おかえりモネ』の亀島へ向かう大橋
当日は鶴亀大橋開通後、初めてとなる《気仙沼つばきマラソン大会》が開催され、一部島内通行止めとなっていたが、モネの天気予報士合格祈願に一家が参拝した神社への車道は通行可
《大嶋神社》
宮司さんが「モネ、モネ」と連呼してあれだったけど、ロケ地として選ばれた名誉はとても誇らし気だった。
「御朱印も任せておけ

」みたいな気迫だったが、ややあれだ。
《気仙沼市東日本大震災遺構伝承館》
被災地各地に存在する伝承館。ここの特長は、屋上にまで津波を被った高校の遺構を2011年3月、そのままの姿で残していること。
今でも県立気仙沼向洋高校の現役生徒さんが、ボランティアで伝承館にやってきた観光客へのガイドを受け持っている。
震災により4階までが水没したものの、一部教員を残し生徒を含め学校関係者全員が後背地の高台避難して犠牲者はゼロ。屋上にも浸水し、工事作業者や教員が十数名取り残されたが、一昼夜、屋上建屋に避難することによって助けられた。彼らは垂直避難の怖さを経験することになった。
2011年3月10日以前の教室風景や卒業式準備のスナップが、心底哀しみを誘う。
そして、資料映像室。
『水を運ぶ少年』(2011年3月14日)
日本のみならず、海外にまで感動を与え、激励に溢れた1枚の写真。
「少年の名は松本魁翔君。被災当時は小学4年生で10歳。母や姉、曾祖父母や祖父母ら家族15人で住む自宅は津波で流され、親戚の家に一時避難をしていた。
震災直後の市内は断水が続き、食料もなかなか手に入りません。断水した1ヶ月半は、特大のペットボトルを使い水くみを続けました。がれきの中、片道約1キロ(約15分)の井戸へ毎日3往復。ときには6往復したこともあったとか。」(キャプションより)
さらには唯一の鑑賞者として映像ルームに腰かける。
階上中学校の卒業式シーンが終わるまでに、零れ落ちる涙を止めることができなかった。
映像ルームを出るとそこは出口。だから、涙が乾くまで映像室のパイプ椅子に腰かけていなければならなかった。
とにかく温かい涙が、おいらの頬を伝っていた。素直な涙だった。
遺構伝承館をそろそろ出ることにしよう。
向洋高校の屋上のキャプションで知ることとなった、一つの集落の慰霊碑がどうしても脳裏に引っかかって離れない。多くの時間が残っていたわけではないが、どうしてもどうしても行きたかった。
受付のスタッフに、アクセスを確認してレンタカーのエンジンを入れる。
そして、ここに行きついた。再びの涙。
《三陸9》
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いつの間にかおいらの周りに集まってきたトンボたちは、確かに「ようこそ」と語り、そして、「この悲劇をひとりでも多くの人たちに伝えておくれ。」
そう語っていたように、ぼくは感じていた。
(つづく)
■クールジャパン機構が崖っぷち 政府肝いりファンド、巨額の累積赤字
(朝日新聞デジタル - 11月22日 06:03)
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