なんだか、アルトマン、スコセッシ、アレンのあの独特のリズムに身体をゆだねたくなる。アルトマンのわが心のジミー・ディーン、ほとんど聴いたことない作品だけれど、ロッテントメイトー的には評価がいいな(日本では、アルトマンの復活作とか宣伝されたニューヨーカーの青い鳥は腐ったトマトたち(日本語にしたら、不揃いのリンゴたち、っぽいな))的にはかなり評価が悪いな)、Y〇uT〇beにあるから今度観てみよう。こないだのアイリッシュマン、今頃になって印象深くなってくる。かなりオーソドックスすぎる感じだから、あまりおもしろみ感じられなかったけれど、こうした、かなりオーソドックスを貫いたのは時間が経つとジワッと思い出深くなるのかな。シャッターアイランドのような心象風景みたいなのより、こうしたのがおもしろいかも(タクシードライバーは心象と客観的描写を上手くブレンドで、レイジングブルはもっと引いて客観性でじっくり描写、でも描写で心象も炙り出し、で、グッドフェローズはディパーテッドやウォール街の狼と同じようにスタイリッシュ、そしてスコセッシのはほとんどがスタイリッシュ、であるがゆえ、アイリッシュマンのオーソドックスさは際立つ)。アレンはレイニーデイでかなり若手アクターたちから叩かれたようであるが、なにをやらかしたのか、とチェックすると、ハーヴェイワインスタインから生まれたミートゥー運動に巻き込まれる形になったのか、かつてのミアファーロとスンイーのイシューの再燃か、最近の若者は倫理にとてもお堅いな、と思わず、至極当然である、とはなる。若者を描かず、身の丈でつくったかのような、ウォーレスショーンの起用。42丁目のワーニャのショーン、よかったな。
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