軽妙な編集で、色彩的な雰囲気もギミック的な仕掛けもエイティーズって感じで、ディノデラウレンティスしている。プロデューサーに仕切られている感じもするけれど、デッドゾーンによるクローネンバーグのハナシ、或いはブルーベルベットによるリンチのハナシから察するにディノはそんなことはしないだろう。『サンダーボルト』もイーストウッドのアクション作品のなかでもとてもスムージーなモンタージュだったの思い出せば、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』はチミノの製作費の範囲で計画実行されやりきった作品には思える。あれだけ悪を憎んでいて自らのやり方に準じていたのに、ジョン・ローンの願いを受け入れなぜ銃を渡したのか- 彼を捕まえた方がチャイニーズマフィアの壊滅につながる -、あれだけ徹底的にやっていたのに、ラストは僕は間違っていた、でもどうやって方法を見つければいいのか分からない、と弱音をメロドラマ的に何故に吐くのか、とプロット的にも主人公の人物像的にも不思議におかしく思えたが、あそこら辺がチミノが伝えたいこと充たされているのだろう。伝統に抗いながらも流れに呑み込まれる現実性への疑いと同じように抗っているローンへの共感(ってか、ミッキーロークとの映し鏡的なもの)や、ラストはチミノの本音的なもの、現実に対峙するときのもどかしさ、やり方の分からなさ、そうした不透明に向けるメッセージが表される。
エイティーズ、ミッキーロークにはアメリカがマーロンブランドの面影を追うところあって人気あったのかなともイヤー・オブ・ザ・ドラゴン観ると思えたりする。ナインハーフもラストタンゴが先駆けとして生み出した退廃的なものにのっかったもの、ミッキーロークに上手くハマったのかな。初老にして復活したところも、ミッキーとマーロン同じである。ミッキーと違ってボブデニーロは、難なくマーロンを超え出る才能あったから、彼らしさを築けたのであろう。
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