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2026年10月22日10:34

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マトリックス・トリロジー IV


☆マトリックス・トリロジー IV

 3作目でバグるスミスは機械ワールドも自分一色にしようとする不正ウィルスになりはて、何度もキスをし合うネオとトリニティはふたりの愛をオーディエンスに見せつけ(註5)、ネオはセカイを救うため機械と一体となり自由行動をしていたスミスをデータとして引き戻し、ネオはキリストよろしく、人間への憐みと赦しを乞い贖罪を一身に引き受ける。愛はセカイを救うのだ、鼻からギューニュー♬ カノジョも人間も機械も、みんな友だち兄弟姉妹なのである。今世紀らしい”共感”のハナシのまとめ上げ方である。【共感はいきすぎると分断を生む怖いものであるが、いまだにこの言葉、トレンドなのであろうか?】

 1作目の裏切者は、こんな現実を見せやがって、とモーフィアスに怒り心頭プンプン。これまでの現実で見たディストピアの記憶を全て抹消しマトリックスの世界に戻りロックスターとして過ごされることをエージェント・スミスに要求するけれど、それは一理あるし、誰だって夢だけを見ていたい。シミュラークルはオリジナルがなくなる批判が含意される面もあるけれど、一方でオリジナルという権威に抗うというポストモダンにおけるアファーマティヴな思想もある。キャメロンはアバターの世界またはアリアスターやダニエルズの身体感覚で言えば、ネットネイティヴたちはあっちの世界(彼岸と此岸でのあっちの世界ではない。ネット内世界である)に現在は行ってしまっているのだろうからシミュラークルの住人であろう。本トリロジーにおけるドリームランドではなく本当の現実―真実―を見ようとする押しつけは現在からしたら時代錯誤的に見えたりもする。また、マトリックスはキング・オブ・キングスのような史劇にも感じられ古色蒼然とはしてる観もある(註6)。されどウォシャウスキス、トランスジェンダってるシスターズからすれば世の中はまだまだ不自由が拘束していてディストピアしているのだろうし、だからこそ現実を見ろとオーディエンスに託しているのかもしれない。3作目でネオはインド系アメリカンの家族と出会うけど、”愛”や”運命”は言葉でしかなく、それは単に形だ、そうした形の中にある関係性こそが大事だとその家族のパパは言うが、姉妹はマトリックスを通して関係性の尊さを問うているのではなかろうか。ネオとトリニティの関係性はセカイ系っぽいけれど、そうした関係性にフォーカスすること、姉妹は普遍的に、そして永遠的に忘れてはいけないものを表しているのである。 The End


註5 いま思えば、これがあるから、次作であるレザレクションズでのネオのトリニティへの気持ちは十分すぎるぐらい、オーディエンスに届けられるのであろう。

註6 マトリックスはムカシ的でアバターはイマ的であるかもしれないが、どちらも祝祭のシークエンスではアフリカン・ドラムが鳴り響き、みんなアフリカンダンスを踊っている。そうしたミリティヴは同じである。どちらも原始への憧れなのか、それとも、アフリカをバカにしているのか(かつて、西洋の映画が日本を空想だけでオリエンタルすぎにステレオタイプに描いたように)。でもベンハーのトレイラーを観ると、ベンハーでもエスニックなサウンドとダンスが表される(ローマ帝国が舞台であるし、エジプトなどアフリカは近いし文化も自ずと入ってきているはずだからそうした描写は納得とはなる)けれど、史劇などを通じてハリウッド映画に綿々と継承されるミームなのかもしれない。


          *ジ・エンドでも、まだP.S.がある。



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